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【オランダ留学🇳🇱】一年間の滞在と心情の変化

2023年7月17日。オランダ中部の街ユトレヒト。大雨の中スーツケースを引いて私は帰国の途についた。

オランダでの一年間を振り返ろうとするとキリがない。基本的には毎日が新鮮で楽しかったが、授業についていけない不甲斐なさや思うように考えを表現できない情けなさを含めて本当にいろいろな感情を経験した一年だったと思う。全て挙げることは難しいが、オランダでの交換留学を経験して自分の心情がどう変わったかを記録として残してみようと思い、ここに書くことにした。

クリアになった専攻分野と勉強への姿勢

私が交換留学を決めた理由の一つに、「所属する大学の法学部に政治系の授業が少ない」という背景がある。私の通う大学の法学部は法曹を多く輩出することで有名であり、カリキュラム上法律科目が大半を占めている。したがって、私が興味がある政治や公共政策に関して大学4年間で勉強できる機会がそこまで多くはないだろうと推察した私は、交換留学制度を利用して海外の大学で勉強することで自分の関心を追求しようと考えた。

学内選考の結果、リベラルアーツを全面的に推奨しているオランダ・ユトレヒト大学のFaculty of Governanceに受け入れてもらえることになり、行政学や公共政策を中心に授業を履修することに決まった。実際に留学先で受講した授業は以下の通りである。

・Government and behaviour
・Public Administration and Organisations
・Comparative politics
・European Governance
・Key challnges to the welfare state
・Making Policy Work
・Critical Junctures in EU institutions
・Understanding Political Leadership

留学生活最後の1ヶ月は就活で忙しかったため、Understanding Political Leadershipの授業は最後まで受講することができなかったものの、それを除いて単位は全て取得することができた。いずれも公共政策やマルチレベルでのガバナンスを内容に含めた授業であったことから、自分の興味の赴くままに勉強することができた一年間だった。

中でも印象的だった授業はMaking Policy Workである。日本語に訳すなら「政策分析」といったところだろうか。行政学の実用的な部分に近い分野である。多様なレイヤーに所属する主体が相互に関わり合いながら政策を実現していく上で障壁となりうるものを様々な観点から洗い出し、それに対してどのように対処する必要があるか自分たちで考えるという授業内容だった。実際にオランダで問題として取り上げられている事例やヨーロッパレベルで注目されている課題をグループ単位で分析し、教授と密にコミュニケーションを取りながら現実的な解決策を模索するという授業スタイルは自分の性格に非常に合っていた。これまで大講義室に詰められて教授が喋ることをただレジュメにメモするだけの一方的な授業しか経験したことがなかった私にとって、双方向性を意識した授業には魅力しかなかった。興味を追求し続けることの楽しさや自分と異なるバックグラウンドを持った人たちと意見を交えることのおもしろさに気付くことができた。

そして何より勉強が好きになった。自分の中で勉強に対する意識が変わった。これまで「やらされていた」勉強が「自発的にやる」勉強へと変わったことにより、純粋に勉強を楽しめるようになった。新しい情報をインプットすることが苦ではなくなり、むしろその分野に関してもっと詳しくなりたいという貪欲さや、授業で学んだ理論的知識がどう現実世界に応用されうるかといった想像力まで磨かれたと思う。

この交換留学を通じて大学教育の本質に触れたような気がする。自分の専攻分野が定まり、自分が学びたいことを自由に学ぶことができる環境がいかに素晴らしいかを悟った。勉強は強制されるものではなく、自らの興味を自由に追求できるポジティブな営みであると強く実感した。京都でサークル漬けの生活を送り授業を二の次にしていた自分にとって間違いなくこれは日本を離れたからこその気付きだったと思うし、交換留学を通して得た心情の変化の中で一番大きなものであったと確信している。

余談ではあるが日本に帰ってきて半年以上経った現在でも自分の関心に従って自発的に学ぼうとするとする姿勢は崩れていない。就活の関係で卒業を一年遅らせることにしたため、大学からこれ以上単位を取ってはいけないという制約を課されたものの、後期には教授何人かに個人的にメールを送り、日本の移民政策のあり方を考える授業や日本の地方政府について分析する授業などに聴講という形で参加していた。いずれの授業も自分の将来やりたいことを見据えた上で受講を決めたものであり、公共政策という自分の興味のベクトルが向いている分野について学ぶことができるものであるため、今は大学生活の中でも有意義な時間を過ごすことができていると思う。大学卒業まであと1年。自分の知的好奇心の向くままに自由に勉強できることは大学生の特権だろう。そのありがたみを噛み締めながら濃い学生生活を送りたい。

公に資する仕事への興味

公に資する仕事と格好よく言ってはいるものの、目指しているのはただの国家公務員である。交換留学を自分の将来について再考するための良い機会にしようと考えていたが、結局なりたいものは変わらなかった。官僚になることは小学校からの夢であり、たった一年の交換留学でブレるようなものではなかったのである。しかし官僚を志望する動機には大きな変化があった。

交換留学に行く前は総務省が自分の中で志望度が高かった。地方出身であるため愛着のある土地から人が離れていくに歯痒さを持っていたこと、ロードバイクで京都から北海道まで旅した際に様々な自治体を自分の目で見る中でそれらの多様性を維持したいという思いが生まれたことの2つが私が総務省に興味を持った理由である、と教養区分の面接では述べたが、ストーリーが美化されすぎていると感じる人も少なくないだろう。もちろん留学に行く前は全国的な問題として取り上げられている人口減少や過疎化に対して自分が何か対策を講じたいという漠然とした思いはあったし、「地方創生」や「地域活性化」というワードにも敏感だった。しかし留学中にマルチレベルガバナンスに関する授業などを受講する中で果たして総務省職員に求められているのは特定の社会問題に対して解決策を導き出す力なのかという疑問が湧いた。もちろん専門知を駆使して人口減少や地域衰退といった社会課題を改善する能力は行政官にとって大事な素質ではあるが、総務省に求められているのは様々なレベルのアクターとの対話を通じて新たな社会的な価値を創り出していく能力ではないだろうかと考えるようになった。考え方が変わったのは、上述したMaking Policy Workの授業で課されたグループ課題を進める中で、フランスのスポーツ政策に携わる関係者のうち中枢にいる人間と末端にいる人間それぞれにインタビューを実施した時である。インタビューの結果、行政官は末端の意見に耳を傾けず、山積する課題に目を瞑り、中央で描かれた理想を現場に押し付けていることがわかった。まさに政策が絵に描いた餅になっていたのである。中枢と末端で目標や価値を共有することができていない現状を目の当たりにし、あらゆる地方公共団体と関りながら業務を遂行する総務省で働くことの意味を考えさせられた。交換留学を通して、利益のベクトルが様々である主体と対話を通じて共通の社会的価値を創り出し、それを実現していくことこそが総務省の役割なのではないだろうかと感じるようになった。もちろん衰退しつつある地域を再建する政策に関わることができる点において総務省は魅力的に感じられるが、それよりも今は、地方赴任を繰り返しながら様々なレイヤーに所属する多様なアクターとの対話を通じて共通の社会的価値を見い出しつつ政策を実現させていくことができる点により魅力を感じている。

交換留学中に経験したもうひとつの気持ちの変化として、外務省への興味が大きくなったことは隠さずに言いたい。外務省は誰もが知る通り国の顔である。日本を代表して働くことは私にとって小さい頃からの憧れであり、自分の周りの人間に公言してきた夢である。小学生の頃は世界が平和になればいいという漠然とした思いから外交官を志していた。自分が住んでいる地域の戦争遺跡に関してレポートを書き、旺文社の社会科自由研究部門で赤尾好夫記念賞も受賞した。ただ成長するにつれて世界平和の実現や紛争解決のために外交官を目指すことはあまり現実的ではないと考え始め、大学入学と同時に自分に自信をなくした私は正直その夢を諦めかけた。ただ今回の交換留学を通じて外国人と交流する楽しさに改めて気付き、日本人としての自意識も強くなり、再び外務省に興味を持つようになった。

「日本人としての自意識が強くなった」をさらに噛み砕いて説明するなら「世界における日本のプレゼンスを高めていきたいという思いが強くなった」「『日本人』の価値をもっと上げていきたいという気持ちが芽生えた」というような表現になるだろう。留学生との日常会話や旅行先で出会う人たちの交流を通じて自分が日本人であることの意識が一層強くなると同時に、日本が国として、また日本人が人間としてどのような評価を受けているのかを一層気にするようになった気がする。もっとも、日本人という民族の価値を高めることは一人の人間にとっては大きすぎるミッションだろう。しかし外務省で働く中で日本という国の評価やプレゼンスにプラスの影響を与えることは、たとえ私のような人間であってもできる可能性があることだと思う。グローバル化とともに国際的な課題やリスクが増大する中で相互依存の枠組みを維持しつつ国際秩序を確保するために日本は何ができるかという問いに対して明確な答えを導き出すには私はまだまだ未熟で勉強不足である。最近書店で日本型開発協力についての新書が目に留まり、購入して読み進めているが、それでも日本が世界に対して優位性を持っている様々な分野(インフラ整備や防災など)において専門知や技術、資金を提供することで国際社会の繁栄に寄与すべきであるという一般的でつまらないフレーズしかまだ私の頭の中には浮かんでいない。官庁訪問まであと数ヶ月。外務省に対する思いや所管分野に対する私なりの考えを自分の言葉で表現できるようになりたい。

内政を仕事にする総務省と外交を仕事にする外務省。政策のベクトルが正反対であるように思われるが、「地域や国が持つ固有性・多様性の保全」「異なる主体との対話を基にした政策形成」という観点では両省は共通していると私は考えている。官庁訪問時にはいずれかを第二志望に落とさなければならないが、現時点ではどちらにも等しく興味があるため非常に悩ましい問題である。しかし交換留学に行ったことで自分の考えがより整理・洗練されたことは大きな収穫だと思う。2つの省庁で決めかねているとは言え、パブリックに資する仕事をしたいという思いは一層強くなったという自覚がある。昨年12月に幸運にも官庁訪問への切符を掴み取ることができたため、自分の興味を突き詰めながら進路を選択していきたい。

ツールとしてのfootball

私の留学生活はサッカー無しでは語れない。ヨーロッパに留学を決めたのも純粋なサッカー愛からである。単なる趣味のひとつではあるが私にとっては生きるモチベーションであり、人との交流の手段である。サッカーがなければどうやって他の留学生と仲良くなっていたか想像がつかない。それほど日常生活の大部分をサッカーが占めていた。

私が一年間滞在したユトレヒトは留学先として完璧だった。そこには素晴らしいサッカー環境があった。オランダ1部エールディヴィジ所属のFCユトレヒトが管理する良質な人工芝グラウンドは下部組織の練習がなければ個人が自由に使ってよかったし(確証はないがおそらく使ってよかった)、併設の天然芝グラウンドも定期的なメンテナンスのおかげでいつも縞模様に芝が切り揃えられていた。ユトレヒト大学が管理する人工芝グラウンドも毎週金曜日にメンテナンスが入るほど管理が行き届いており、2万円のメンバーシップを購入すれば誰でも使い放題だった。寮から自転車を10分走らせればサッカーグラウンドを幾つも見つけることができるほどユトレヒトにはフットボールのカルチャーが根付いていた。現在アーセナルでプレーするオランダの宝石ユリエン・ティンバーがユトレヒト出身であるのも納得である。それくらいサッカー好きにはたまらない街だった。

そのような恵まれた環境の中でサッカーが好きな友達にたくさん囲まれて留学生活を送っていた私は当時オランダに住んでいた日本人の中で一番幸せだったかもしれない。毎週日曜日の昼過ぎから留学生50人規模でサッカーをした後にハイネケンを飲みながらBBQをする生活は一週間の疲れが吹き飛ぶほど楽しかった。またスペイン人の友達がユトレヒト大学のサッカー部に誘ってくれたおかげで毎週水曜日にトレーニング、隔週土曜日にリーグ戦の予定が入り、文字通りサッカー漬けの毎日を送っていた。Instagramのストーリーもサッカーの写真や動画ばかりだったことから帰国した際にサッカー留学に行っていたのではないかと冗談を飛ばされたほどであった。実際は勉強に追われていたがためにサッカーしか載せるものがなかっただけなのだが。

個人的に一番思い出に残っているのは後期に開催された日曜午後のサッカーかもしれない。オーストラリア人の友達がWhatsAppのグループに招待してくれたが、私が入った時はすでに80人(国籍は30弱)ほどメンバーがいた。経験者も未経験者も男子も女子もごちゃ混ぜでやるサッカーは新鮮で楽しかった。1人だけ別格だったイタリア人の友達がセリエAの名門フィオレンティーナのユース出身でキエーザともサッカーをしたことがあると発覚した時には真っ先に紙とペンを持ってサインをもらいに行ったのを覚えている。あとで調べてみると彼はTransfermarktにも情報が載っているほどの逸材だった。他にもドリブルが速くてトラップも吸い付くようだったブラジル出身の友達や、背の高さからは想像できないボールタッチの柔らかさを持ち合わせたノルウェー出身の友達、ディフェンスもパスも頭ひとつ抜けているアメリカ人のかわいい女友達も含めて、とにかく様々なバックグラウンドを持った人たちと合流しながら毎週サッカーに打ち込んでいた当時に戻りたいと思うことは今でもある。思い返してみると現地で作った友達はサッカーを通じて仲良くなった人がほとんどであり、改めてサッカーは人と人とを繋ぐツールであると感じた。

ワールドワイドな人脈

この留学を通して私は世界38カ国に友達を作ることができた。私はイギリス、アイルランド、オーストラリアを中心とした英語圏のコミュニティと、イタリア、スペイン、ポルトガル、メキシコを中心としたラテン系のコミュニティの二つに属していたことから様々な人たちと関わりを持つ機会があったが、私を入り口にして日本に対して興味を持ってくれる人がいたり、クラブやサッカーなど日常生活におけるイベントに積極的に私を誘ってくれる人がいたりと、関わった人たち全員がフレンドリーで本当にいい人たちばかりだった。帰りの飛行機の中で彼らの顔を思い出してしばらく涙が止まらなかったが、それくらいいい関係を築けたと思うし、それだからこそ別れるのが寂しかった。

嬉しいことに今でも日本に旅行に来る際には連絡してくれ、私が住んでいる京都に立ち寄ってくれる友達がほとんどである。日本に帰国して半年以上経ったが、既にノルウェーから1人、オーストラリアから3人、イギリスから1人、計5人と京都で再会した。遠い島国に暮らしている私のことを覚えていてくれるだけでも嬉しいのに、わざわざ予定を空けてまで私に会いに来てくれるのは本当に感動的である。本当に人に恵まれ、環境に恵まれた留学生活だったと思う。

前述した通り、留学の時期の関係もあり、私は大学にもう一年在籍することにした。今は就活で忙しいが、卒業する前にもう一度ヨーロッパに戻ろうと考えている。というより、もう戻ることを決めている。一年間という長いようで短かった留学生活において9000km以上も離れた地からやってきた私に対して本当に良くしてくれた友達にもう一度会いたいし、まだ見たことのないヨーロッパの景色をこの目に焼き付けたい。この留学を通して欧州15カ国を訪れたが、心の底からこの地域を好きになったし、夢のような留学生活のおかげで今でも自分の故郷のように感じている。都合上、ヨーロッパに戻るのはもう少し先になりそうだが、胸を張って友達に再会できるように今は日本で自分のやるべきことを頑張りたいと思う。

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