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幻冬舎の箕輪さんはなぜ炎上したのかをマーケティングの失敗事例として読み解く

文春砲を立て続けに2発喰らった幻冬舎の箕輪さんは、1ヶ月経たずしてテレビ活動の自粛、ニューズピックスブック編集長の退任を発表しました。

2020年の年初に「箕輪さんがメディアから退場する」と言っても、誰も信じなかったはずです。「何言ってんの?」「嫉妬してんの?」と馬鹿にされたかもしれません。

出版業界は「ざまあみろ」「好敵手がいなくなって寂しい」の反響に分かれているでしょう。少なくとも「何も思わないし、何も感じない」と答える人はごくわずかのはず。それぐらい、ここ数年間は箕輪さんを始めとする幻冬者、NewsPicksに振り回されたと感じる人たちは多いと感じています。

箕輪さんの何が凄かったのか。

それについては、久保内さんが2回に分けて回答されています。そちらを読まれると、何をして「天才」と評されたのかは掴めます。

私からは、箕輪さんが文春砲を喰らってメディアから退場するまでを、マーケティング観点で読み解きたいと思います。箕輪さん自身を1つのブランドと考えた時、「やってはいけない手」を立て続けに踏んでおり、マーケティングの失敗事例として非常に参考になるからです。

本noteは7000字と量多めなんで、移動時間や昼休みに読むことをオススメします。


「根っこ」は確証バイアスではないか?

多くの人が「箕輪編集室のライブ配信で、言い逃れできない失言を繰り返したのが退場の原因」と思われているようですが、それは「結果」です。そうした「結果」を生んだ「原因」は何だったかを考える必要があります。

私が洞察するに、自分の実力を過信し過ぎて、周囲の諫める声にも耳を傾けず、むしろ自分への嫉妬だと勘違いするほど「自分が信じたいものだけを信じる」認知の歪みが生じたことにあると考えます。

それを、認知心理学や社会心理学では「確証バイアス」と呼びます。

■確証バイアス(confirmation bias)
自分の仮説を支持する情報ばかり集めて、仮説に反する情報を無視する傾向。自分の見方が正しいと思いたいがために、自分の考えを捕捉してくれる情報を求め、書籍や雑誌、WEB情報ばかり目を通す。逆に、違う見方は「自分を否定するもの」として遠ざけてしまう。

■「確証バイアス」の具体例
「オレオレ詐欺」の電話がかかってきた高齢者は、声や話の内容から「自分の記憶の中からそれっぽい話を思い出し」て自分の子供だと勝手に「確信」し、「詐欺だからお金を振り込んではいけない」という周囲の意見を無視して行動してしまうのです。「確信」してしまった人へのアドバイスはむしろ逆効果で、こういう場合は「大変ですね、一緒についていきましょう」と同情を誘って現場へ一緒に急行する方が被害を防ぐ可能性があります。

確証バイアスが強まった結果、何を生んだのでしょう。

1つ目。5月16日に1発目の文春砲を喰らっても、謝罪コメントを一切も発することなく、平然とした顔でメディアに出続けることが出来ました。私自身は「すげぇ心臓してる」と思いました。これ自体が「やってはいけない手」ですね。

報じられた内容は重大なモラル違反であっても明確な犯罪では無く、契約の問題に関して四の五の言える出版関係者が何人いるんだよ、ぐらいに思っていたでしょう。(もしかしたら良心の呵責はあったかもしれませんね)

19日には「トラップ。」とツイートし、箕輪さんを応援している内集団から応援、擁護の声が止みませんでした。そのことに恐らく気を良くした箕輪さんは、翌20日に例のライブ動画を配信してしまいます。

内集団とはアメリカの社会学者であるウィリアム・グラハム・サムナーが表現した概念です。所属する集団(家族、近隣住民とのコミュニティ、会社、学校など)と自らを同一視し、「私たち」という感情を抱く傾向を意味しています。内集団に対する好意度が高まると「内集団だから許す」「内集団だから無条件で好意的な態度を取る」といった内集団バイアスが起きます。
ちなみに、ここで言う内集団とは狭義の意味では「箕輪編集室」、広義の意味では「箕輪本を買って応援している人たち」を指します。

通常、内集団が正常に機能していたら、社会の常識=内集団の常識と合致します。しかし内集団の箕輪さん贔屓が強過ぎて、社会の常識からの乖離が発生しました。

言い換えれば、私たちは社会と乖離しているんだと気付けない大人が内集団(コミュニティ内)に大勢いたのです。むしろ内集団からすれば「社会がトチ狂って見めた」でしょう。

その結果が箕輪さんに対する応援、擁護の声です。

ただし、箕輪さんの声を聞いて、ますます「信念」を深めた人たちと、そうじゃない人たちで傾向は分かれたようです。

みずほさんは25日に「箕輪編集室を辞める前に、箕輪厚介さんに物申したい。」と題したnoteを発表しています。一方で荒木利彦さんは27日に「箕輪厚介のセクハラ騒動と #箕輪編集室 退会noteに思うこと」(既に削除されていますから魚拓を見て下さい)と題したnoteを発表しています。

後者のnoteからは、「バックファイア効果」が出ていると私は感じました。でないと「箕輪さんがプロデュースする箕輪狂介も「社会が産んだエラー」と歌っていますし」「フェミニストという言葉そのものが分断を呼んでしまうと思ってるのでなるべく使わない方がいいでしょう。ジェンダー問題に携わっているとよく出てくる言葉なんですかね」「男性⇄女性、強者⇄弱者という二元論にハマってしまっている」なんて言葉出ないでしょう。擁護が擁護になっていないことに気付けない時点で、それはマズいんですって。

■バックファイア効果(Backfire effect)
 信じたくない情報や自説にとって都合が悪いエビデンスに遭遇すると、もともとの信念を変えるよりも当初の信念をより強固に信じる傾向。
バックファイアとは、もともとエンジンで燃焼しきれなかったガスがエンジンの外で爆発する現象を指していますが、転じて「裏目に出る」の意味で使われる英語の慣用表現となっています。

■「バックファイア効果」の具体例
 国論を2分するような問題(日本国内であれば沖縄問題、原発問題、新型コロナウイルスへの対応、他にも国際政治)においては、バックファイア効果が起きやすいと考えています。自分と異なる立場からの発信について、頭から噓だと決めつける光景が日本においても見られますし、米国では大統領が率先して「フェイクニュースだ!」と叫んでいます。

箕輪さんの周囲には、確証バイアスをガツンと叩き壊すような大人も、諫言してくれる友達もいなかったんでしょうね。それは凄く寂しいことでもあります。いざ自分だとすると…と焦りも感じます。

自分はなぜ炎上しているか分からないけど、周囲の人たち大勢がそれは問題だと言っている時、大抵は自分自身が間違っています。狂った世間に同化しなければならないのかと弁護したい気持ちも浮かぶでしょうが、だったら理論的に世間と戦うべきで、絶対に動画で妄言なんか吐いちゃいけない「やってはいけない手」なんです。

マーケターとしての自分自身、会社、ブランドと社会はちゃんと繋がっているでしょうか? 今一度考え直す良い機会かもしれません。


「世間」はある日突然、牙を剝く

確証バイアスが強まった結果、何を生んだのでしょう。

2つ目。「熱心に本を買ってくれる人(信者)」と「熱心に本を絶対に買わない人(アンチ)」の対立構造に、もっとも厄介な「世間」が割って入ったのに、今までと同じように不遜な態度を取ってしまいました。

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既存のメディアに対する不遜で傲慢な態度で知られる箕輪さんの姿を見て、信者になる人もいればアンチになる人もいたでしょう。私は超大嫌いでしたが、いつか一緒に仕事できたら良いのになぁ、ぐらいに思っていました。

これまで不遜で傲慢な態度をとっても世間が一切注目しなかったのは、所詮は箕輪さんに注目していたのは出版関係者の内集団か、NewsPicksなどごく一部の内集団だったからです。

箕輪本と言っても、実際にはゴーストライター箕輪だったとしても、世間的には堀江さんの本であり田端さんの本です。世間の大半は箕輪? 誰? って感じだったでしょう。

ただし箕輪さんは確証バイアスに囚われているので、対世間に向けて今までのノリと同じように「トラップ」と口走り、あげく内集団に対して妄言を吐いてしまいました。

それがたとえ内集団に向けた言葉だったとしても、その瞬間の挙動はマスコミ始めとする世間に注目されていると気付けなかったのです。そりゃ炎上するし、謝罪せざるを得ないですよね、って感じです。

非常に近しい炎上事例がナイナイ岡村さんの「コロナが明けたら可愛い人が風俗嬢やります」発言です。リスナーの投稿に関するコメントがフライデーに掲載され、社会の注目を浴び、一気に大炎上しました。

理屈は、政治家の失言と同じです。内輪ノリで「まだ東北でよかった」「私はすごく物わかりがいい。すぐ忖度する」「復興以上に大事なのは高橋さんだ」「アルツハイマーの人でも分かる」と言ってしまう。発言の相手が会場だったとしても、その発言の一挙手一投足は世間から見られているのに。

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内集団同士のトラブルであれば、信者とアンチの対立で済みます。しかし世間がそこに割って入ると、どちらが正しいかと品定めされます。1度でも信頼を勝ち得ると世間が味方になって「グルメ王」だの「爽やか」だの高評価を獲得しますし、信頼を失うと一瞬で敵になります。

世間から注目を集めた瞬間、本来であれば「しばらく黙っている」という手段も考えられました。人の噂も75日と言いますが、日経ビジネスオンラインでブチ切れて見せた小田嶋隆さんも2回連続キレるわけにもいきません。

人は「嫌い」で居続けることが難しい生き物です。なぜなら、好きの反対は嫌いではなく無関心であり、関心を持ち続けるにはエネルギーが必要だからです。箕輪さんの「編集者という立場を利用したセクハラ問題」に、世間は3週間も興味をもてたでしょうか?

しかし確証バイアスに塗れた箕輪さんは、幻冬者から何を言われたのか分かりませんが、黙っているなんて出来なかったようです。「やってはいけない手」なんですが、喋っちゃいました。

なんせ自分を批判している相手は、自分と比べたら話にならぬクズ、ゴミ、劣等、低能の編集者たちなんだから。優秀な自分が、この程度のスキャンダルで黙っているなんて考えられない。驕る。驕るさっ、優秀なんだから。ここまでクズ編集者を寄せ付けず、勝ち続けてきたんだから…!(カイジからトリュビュートさせて頂きました)

こうして考えると、箕輪さんは利根川みたいな人ですね。優秀なのに、奢っちゃ足元すくわれますよね。


炎上ビジネスの限界について

箕輪さんにしろ、ファンの皆さんにしろ、なぜここまでバッシングを浴びなければならないのか、叩かれるのか、よく分からなかったと思います。

「お前ら、別に本買わないじゃん!」

そんな叫び声が聞こえてきそうです。少なくとも私ならそう思いそう。

ただ、皆さんの取ってこられた炎上商法(と私は思っている)の末路として世間が怒ったのだ、と考えれば、見方も変わるのではないでしょうか。

「好きの反対は嫌いではなく無関心」と言いましたが、炎上商法に乗せられて嫌いになったとしても、感情が動かされれば興味を持ったも同然です。1度嫌いになってから好きになるなんて恋愛ドラマでよくある話。単純接触効果で回数が高まるほど、好感度が高まる人が一定層います。

だから炎上商法は無くなりません。

■単純接触効果とは(Mere exposure effect)
初めは興味がなかったり、苦手だったりしても、何度も見たり聞いたりしているうちに良い印象に変化する傾向。音楽や衣服、あるいは広告のようなモノだけでなく、対人関係にも当てはまると考えられています。

■「単純接触効果」の具体例
選挙に勝つ方法として、毎朝選挙区の街頭で演説して顔と名前を覚えてもらう、選挙期間中はとにかく候補者の名前を連呼する、といった方法が行われています(それ自体が良いか悪いかは置いておいたとして)。
SNS時代になってもTwitter、Facebookなど複数の媒体の広告に何度何度も触れているうちに記憶され、印象が良くなってきます。そもそもTwitterのRT機能は「単純接触効果」を増大する役割を担っていると考えられます。

ただし、炎上商法が厄介なのは「2回目の関心をひくには、1回目を上回らないといけない」という宿命を背負う点です。興味を持って貰ったキッカケを上回らないと効果が発揮されないので、私は「走り高跳びの法則」と名付けました。

1回目より2回目、2回目より3回目というプレッシャーが、より過激な話題作りに走らせ、大炎上でブランド自体が終了する事件に発展する事例を私たちは何度も見てきました。炎上商法の本質は「多少過激な言動・行動で興味関心を持ってもらう」なのに、燃やすことを本質だと勘違いしちゃったんですよね。

元東大の大澤さんがそうです。某氏に教えて貰ったのですが「炎上するまでDMでは超普通の人でした」とのこと。「話題作り」で職場まで追われたなんて悲し過ぎる事件です。

したがって、全身を燃やさないように、身体の一部を少しだけ千切って無関心層を燃やしていくのが鉄則です。燃やせば燃やすほど、アンチと共にファンも増えていきます。加えて言えば、そのファンは必ず「内集団」に加わってくれるコアなファンです。

重要なのは必ず「ファン」>「アンチ」となるよう燃やすことです。「love more than hate」ですね。逆になると全身が燃える確率が高まるか、嫌われてお終いです。

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流れは以下のように表現できます。炎上商法は無関心層から興味関心を持ってもらえるようになる「率」は比較的高いと感じています。

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ただし、図の通り、炎上商法の最大の弱点は「必ず一定層のアンチ層を生み出す」点にあると言えるかもしれません。ブランド開発で、誰が好き好んで「自分の商品が嫌いな人たち」を生み出したいと願うでしょうか。

しかし10万、20万クラスになると、世間の99.9%は無関心のままなのに、一定以上のバイイングパワーを持つので、「炎上商法で有名になった人」であっても企業も無下にはできません。箕輪さんは20万人のアンチを生んだ代わりに20万人のファンを生んだのです。そのうち10%が買ってくれるだけで2万部ですから、出版業界からすると御の字ではないでしょうか。

ただし、今回の箕輪さんの退場に至る経緯で、99.9%のうちの何%かが顔を覗かせ「シンプルに気持ち悪いな」と嫌悪感を示したことは、結構重要な事実だと思います。

つまり、ファンビジネスはアンチ層に嫌われても良いが、無関心層に嫌われたら一巻の終わりなのです。

箕輪さんもファンの人も、アンチ2万人だけでなく無関心層までが叩き出したので、正直驚いたのではないでしょうか。しかし「世間の反感を買う」とはそういうことなんです。

ブランドマネージャーはコアなファンを増やしアンチを減らすだけでなく、無関心層に嫌われてはいけないという三方に気を向けなければならないのです。しかも無関心層に嫌われないように配慮すると、コアなファンが「あいつらもアンチみたいにぶった斬りましょうよ」と煽り出すので非常に厄介です。それでもnoteで書いて勝手に炎上する…。

どう考えても、炎上商法はやり続けると「無関心層とコアなファンの衝突」「アンチ層>コアなファン層」いずれかの未来しか考えられません。

絶対に買ってくれるコアなファン層を2万人作るために敵を2万人作るなら、買ってくれるかどうか分からない認知層を200万人作る方が長期的に良いのではないか、とすら思います。


出版社は変わり始めたけれど…

冒頭で紹介した久保田さんが「売る努力まで著者に負わせてたままの出版社のほうが大勢を占めている」とコメントされていました。そういう出版社も確かにありますが、むしろ大手は箕輪さんの背中を見て着々と施策を構築している印象です。

地味かもしれませんが、大手の出版社はオウンドメディアを構築して、本の宣伝をしています。ダイヤモンド、東洋経済だけでなく文春ですら「本を出したらWEB記事も同時に出る」仕組みを構築しました。オウンドメディアを持っていない専門版元は、他社に積極的に本の転載を許諾しています。

「そんなの箕輪さんと比べてどうなんだ!?」という指摘については「出版社はそろそろ経営陣の意志としてCMOを雇った方が良いですね」という返答になりますが。

そうした流れに乗り遅れている大手出版社の1つが、実は幻冬舎です。某編集者が「もともと「仮腹」と呼ばれるように、見城氏の方針で自前メディアを育てるよりも、他社の週刊誌等へ原稿を連載させて書籍化は幻冬舎でやるというのが彼らの得意パターン」だそうです。

箕輪さんに喧嘩を売られ、唇噛み締めながらコツコツと環境を構築したら、いつの間にか煽り続けた本人は退場して、肝心の幻冬舎の方は数年前と何ら変化ない。そりゃあ、ガッカリするでしょうよ。

箕輪さんは個人としてはものすごく優秀だったんでしょうが、組織体制として根付かせるまでにはいかなかった点では「組織人では無かった」のだろうなぁ、と推察します。

スマホが登場して10年近く経過して、ようやく出版業界が「私たちの作った書籍は移動時間の暇つぶしに読まれていた」と気付いたのです。

何もすることの無い時間に仕方なくやっていた行為の1つが読書だなんて認めるのも嫌でしょうが、それが読書習慣の殆ど無いライト層の実態です。

その現実を認め、ライト層・ミドル層・コア層それぞれを獲得するミックスモデルをどう組むかが、これからの編集部に求められるでしょう。というかそれをやっている出版社はもう一定数ありますし。組織を改編して編集部とマーケティング部を繋げる出版社も出てくるかもしれません。

私自身は、ここから出版社が狼煙を上げ始めると思います(もっとも個人的な願望も入っていますが)。その時に、嫌われ役としての箕輪さんが表舞台に立たないのは、なんだかツマラナイなぁ…とすら思います。

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