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放送大学は甘くない

歳を取ると顔の皮が厚くなる…、だけではなく、たるんでくる。弛んだ面の皮は下に垂れて、目を開けるのも大変になる。

若い時には女の子の様だとも言われ、白くて艷やかな卵のむき身肌とパッチリお目々が好き、などと言われていた。女の子などには興味もないのに、声を掛けられたり手紙が来たり、そういう事が軟弱に感じられて空手に打ち込んだ時期もあった(自意識過剰)。本を読むのも早くて、高校で教師と生徒の読書会を運営したときには、一晩に3冊を読んで簡単ながら感想文を書いた事もあった。

仕事に就いてからは、新しい回転炉の設計をしたり、親会社に頼まれて塑性加工の工程のレポートを書いたこともあった。それほど長い時間を掛けずに、けっこうな量の専門書も読んでまとめられたと思う。

ああそれなのに…、今は文字を読むことがキツくなってきた。脂肪で厚みを増した瞼は弛んで下がり、懸命に開いても何故か線がカスミ、判読に時間が掛かる。まして専門書や論文類は文字が細かいので、読む事に専念すると、何を読んでいたのかを忘れてしまう。情けなや・・・。


今朝目が覚めて、たまたまスマホでメールチェックしようとしたら、検索を開いてしまい、以下の記事が案内されていた。

高齢者は時間だけはタップリあるので、放送大学など4年で卒業するのは難しくない、などと思っていた。4年間に124単位、半年で15.5単位、放送授業にすれば7~8科目なので、難しくはない。という甘い考えで受講開始し、初年度に8科目と面接授業を3回(3単位分)を、2学期は7科目と面接授業2回を受けた。ここで息切れしてきた。2年時からは4科目から5科目がやっとになり、3年半が過ぎて残りの単位数が38単位、放送授業24単位(12科目)と面接授業とオンライン授業4単位+10単位が残ってる。半年では絶対に出来ないだろう。

各科目の放送教材を読む量が半端ない。最終の単位認定試験では、各章から満遍なく出題される。過去数回分の過去問を参照できるが、必ずしも同じ問題は出てこない。あまりにも出題箇所が散りすぎて的が絞れない。他の通信大学を受けた事もあり、その経験では指定された数十頁からの出題か、レポートの提出だった。

放送大学の最大の問題点は、自コース以外も自由に受講でき、そのために興味が拡がり、教材以外の物を読みたくなり調べたくなる。受講開始から単位認定試験までの実質4ヶ月弱の間に、放送授業を視聴し教材を読み参考図書を読んでいたら、とてもじゃないが時間が足りるわけがない。試験がレポートだけなら、読んだり調べたことをまとめるので良いのだが、あくまでも試験の範囲は視聴した授業と印刷教材の中から出題される。かなり丁寧に、200ページを超える教材を読み込んでいないと、試験問題は10~15題しかないが、かなりキツい。自分のように浮気性で、次から次へと好奇心が拡がる者には、余りにも興味を引く科目が多すぎる。

自コースは「生活と福祉コース」なのに、日本文学史や和歌、日本語それ自体に対する興味も頭から離れない。しかも自然科学の植物の生態や宇宙までも、浮気性という性格の悪さが足を引っ張ってしまう。

とはいうものの、実は単位認定試験は何とかなってしまう。50分で10問か15問、とりあえず今のところ計算問題はない。1問に5分も時間が有る。読んだり調べたことを思い出せば、余裕を持って合格できる。最初の10分か15分で8割方は出来るので、後は落ち着いて臨めばいいのだが・・・。


などと言い訳がましい事ばかりが思い浮かぶのは、4年半か5年での卒業を目指すか、それとも指定科目を一つ残して、興味の趣くまま各コースを跨いで人生残り時間を楽しもうか迷ってる。日常生活での筋力の弱り、まさに学んだ通りのサルコペニア(加齢性筋肉減弱現象)が自覚されて、散歩さえもキツくなってきた。

娘の勧めに従い、同居をするか近くの市営住宅に越すか、あるいは潔く施設を探すか。幾つかの選択肢を示されたが、最後の最期まで自由に自分らしく生きていたい。最期を看取られなくとも良い、多くのシガラミや余計な関わりから解き放たれて、思い出したい事や深く反省すべき事を、一人暮らしになったからこそ時間を活かして、やらなければならないと思っている。

放送大学は頭の活動の訓練と、反省の拡がり深みと、見詰めるべきモノを明確に示してくれることがある。卒業は甘くはないが、卒業以上に学ぶべきモノがあるようだ。と思いながら、時期の受講科目選定と不充分な学びであった科目の教材を読み返してる。

動けなくなってきたからこそやるべき事が増えたのに、動けなくなると頭の働きや時間配分が急激に悪くなる。少しだけでも歩くようにしなければ。どうしても書き遺したい人が居た。書き遺すというよりも、書くことでハッキリと想い出したい人が居る。曖昧な記憶のまま人生を終わりたくない。自分なりに必死に生きてきたと思うし、他人のためにも努力をしたと思う。それでも最も大事なことを、そのまま残してしまいそうで少し恐い。

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