「真面目の弊害」

本当に真面目な人は、いろんなことを深く考えすぎる。考えて考えて考えた果てに、自分の思考回路では収集がつかなくなってしまう。悩んでいる気持ちを本当は人に話したいけれど、もう自分が何に悩んでいるのかすら分からなくなって、誰かに理解してもらうことを諦めてしまう。それでも、正解を求めて考え続ける。考えれば考えるほど、どんどん答えは迷宮入りしていく。もう、考えることが辛くなる。でも、脳は考えることをやめてくれない。思考回路は、誰にも操れない。自分で操れる唯一の選択肢は、思考回路の電源を切ること、すなわち「死」を選ぶことです。

誰にも相談しないのは、決して周りを信頼していない訳ではないのだと思います。あえて相談することを選ばないこともあるでしょうし、相談できないこともあるでしょう。
人間は賢いからこそ、その賢さを悲しい方向に使ってしまうことも多くあります。後に残るのは悲しみだけで、どんなに科学が進歩しても消えてしまったものを生き返らせることはできません。

私は、いつも明るくて笑顔を絶やさない人をみると、ちゃんと吐き出す場所があるのだろうかと、逆に心配になります。そういう人は、人一倍悩んだり苦しんだ経験を持っている人が多くて、苦しさを知っているからこそ笑っていられる強い人なんだと感じます。

いまの社会は、真面目な人にとってはとても生きづらいです。そして、真剣に悩んでいる相手の姿が全く見えないからこそ、無為に投げつけた言葉がナイフになりえてしまう世界です。これから必要な人々が、社会に殺されるようなことがあっていいのでしょうか。神様は無情なのかと思ってしまいますが、こんな大事な人を失うような世界を作っている現代の私たちへの警告なのかもしれないとも感じます。

私たちは今一度、人権とか倫理観というものを、きちんと学び直す必要があると思います。社会の陰に押し潰されるような人々がいなくなる世界になることを切に願います。

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