学校に行ったら息子の存在が抹消されていた?
行事があって久々に学校に出向いたら、息子は居ないものとなっていた。
ような、とても寂しい気持ちになった。
学年末は特にクラスや学年が一体化して気持ちが盛り上がる時期でもある。
息子は不登校。
学校のありとあらゆる行事が苦痛になってしまっている。
でも息子は辛く苦しく行けない。
いや、行かない。
盛り上がるのも、苦しむのも、どちらもあっていいと思うし、各個人の感じ方は、どこまでも自由でいい。
息子は学校に行かない選択をしている一方で、私は学校がどんな感じになっているのか興味があり、また、知っている子ども達の姿も見たくなって、ついつい学校行事に行く選択をしてしまう。
しかし、先日、それももうやめた方が良さそうだと思ってしまった。
学校の先生方が保護者に学年全体の様子をお話して下さったのだ。が、その内容のどこにも息子は存在していなかった。
「この学年の子は、とても元気で。」
「みんなで何かを作り上げる事が大好きで。」
「今はお互い声を掛け合ってみんなで盛り上がっています。」
あれ?みんなの中に息子いない…
この学年にうちの子はもういない?
「保護者の皆さんの協力で、前回のイベントも大成功でした。」
え?そんな行事あったの?知らなかった。私、協力してないわ。
というか、私も存在消えてるやん?
もちろんわかっている。
先生方は、ほとんどの保護者の皆さんに向けて、学校での様子をなるべく分かりやすく伝えようとしている事。
子どもたちが大好きな事。
そして、
私は若干いじけている事も。
わかっている。
わかっているけど寂しくなってしまった。
話の中のどこにも息子の姿は無かった事が。
そうか、他の子ども達は学校が大好きなのに…。
こうなってくると、こうなりがち。
なんでうちの子は…。
ハイハイ。
もう、これウンザリするほど感じて悲しくなってきたけど、流石に私も強くなってきて、そんな事はもう思わない。ふてぶてしさが増している自分がステキだと思ってしまう。
何なら、こんな事すら感じてしまう。
そんな空気の学年なら、うちの子、そりゃ合わないな〜。
ほんとにみんながみんな、そんなに楽しんでる〜?
そんな美しい過ぎる世界はないでしょう〜。
そして更には、
色んな子がいるから、学校は面白い。全員みんなが一体になってか〜。うーん。そうなったら美しいけど、そういうのって生命が掛かっている位の非常時に発動する能力だったりしない?その時の為の練習みたいな位置づけで良くない?そんな褒める?感動する?どうなのかな?
とすら思ってしまう。
感動している保護者の皆さまの隣で、そんな事を思う私もどうなのかとは思うけども。
そんな親の子、息子。
うん、いいね。
行かない選択、いいと思う。
やっぱり息子が大好きだ。
抹消されていても、いなくても、どうでもいいよね。
散々言いたい放題言いながら、多分、私はまた一人懲りずに学校行事にイソイソと出かけてしまうのであろう。子ども達を見ていると元気をもらえるから、ついついね。
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