静畔(じょうはん)

アラフィフライフ中。 自分とも他人とも戦わない。 ゆるくて、ぬるい生活をご紹介。

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最近の記事

新学期を前に腹が痛くなる母

あと数日もしたら、新学期が始まってしまう。 うちの子どもたちは、学校が超がつくほど嫌いであるが、なんとか首の皮一枚ぐらいで学校と繋がりながら、つい数週間前にやっと年度が終わり、母子共に疲労で倒れる寸前で春休みに突入。 やれやれ。というわけで、春休みの今、子ども達も私も、のんびりした時間を満喫中である。思う存分、子どもたちは好きなように過ごし、私も好きなように過ごしている。しかも休み中は、何故か私はよく眠れるのだ。 自由を謳歌している! 子どもたちはストレスも少ないよう

    • 絶望したら終わりかと思っていたが、それで終わりじゃなかった。

      実のところ私はここ数年、絶望しております。 絶望したら、人生終わりかと思っていたので、絶望だけはしないようにしていたのですが、結局絶望してしまいました。 でも、絶望しても、まだこうして生活しております。どうやら絶望して終わりではなかったようです。 そもそも、どうして絶望したかと言いますと、話すと長くなってしまうので、要約すると、 ○何をやってもうまくいかない。 ○限界まで頑張っていても、次から次へと辛い事が起きる。 ○そんな私の過去全てに嫌気がさしているにも関わらず、

      • 息子がうつかもしれない。と思ってネットで調べたら、自分がもっとうつだった。

        息子に元気がない。食欲も減り、やる気も失せ、出かけると異常に疲れている。そして、いつもイライラしている。 見ていて何か変だぞ。 ネットで子どものうつを調べてみる。 うつと思われる症状の多くが彼とピッタリで、やはりそうだったか…と心が沈む。 それだけでもかなり気が沈むというのに、ピッタリな症状がさらに多い自分の状態に引いてしまった。 消えてしまってもいい気がする。 →ま、それでもいいか。 ふと涙が出る。 →毎日だよ! 外見を気にしなくなった。 →毎日バタバタ過ぎて、そ

        • 「存在の耐えられない軽さ」と「カサンドラ」

          随分昔に「存在の耐えられない軽さ」という映画を見た。 どよ〜んとした映像&フランス語でボソボソ語る感じが文学を感じさせ、見た後に何だか賢くなったような気になる映画だった。(と記憶している) あれから20年余り時が過ぎ、最近私の頭の中に「存在の耐えられない軽さ」という言葉がチラチラと舞い降りてくる。 夫は、アスペルガー。(だと思われる。)そして私はまんまとカサンドラ症候群になった。 カサンドラ症候群になったのは、私が人間的に未熟な訳だからではない。と断言できるまでに相当

        新学期を前に腹が痛くなる母

          老眼。とかいうな〜。ささやかな抵抗。

          最近、本当に見えない! 近くが見えない。 集合写真とかラインで送ってもらっても、自分がどこにいるのかもわからない。画面を拡大&拡大&拡大して、ようやく見えるか。 あ、そうそう。あの時、この辺りに自分立ってたよね。(記憶も曖昧) これはいわゆる、 老眼。 もう細かい物は見なくて良い。 という事だよ。と教えてくれた先生がいた。 なるほど〜。 歳を重ねる事が尊く聞こえて心地良い。 というのに、自分で老眼と言った瞬間からズンっと残念な気持ちになってくる。 どうやら私には

          老眼。とかいうな〜。ささやかな抵抗。

          パニック障害発症から5年。ようやくお茶をする。

          5年前に発症したパニック障害。 それは、突然の幕開け。 私の人生が一度止まってしまった。あらゆる行動に自由がきかなくなり、絶望と戦った日々。 5年。 度々友達からお茶に行く誘いを受け、その度にお断りをさせて頂いてきた5年。 外で飲食をすることは、私にとっては大きな試練であり、チャレンジであり、そして多大なる疲弊が伴う。頑張るというレベルを超えている事もあり、お断りし続けていた。 なのに。。 その日は突然やってきた。 息子の学校に用事があって出向いたある日。たまた

          パニック障害発症から5年。ようやくお茶をする。

          親子の会話量

          親子の会話量。たくさん話す親子は、子どもにとっても良い事が沢山らしいが、うちの状況に限っては功を奏しているとも言えなさそうだ。 うちの家族の会話量、とにかく長男が、よく喋る。私も最初は軽く頷いて聞いているだけなのだが、段々、へ?どういう事?と口を挟み、気がつけば何やかんやと話している。 量を比率で表すとこんな感じ。 長男 50% 私(母) 22% 次男 20% 夫 8% 母子感の会話は多い方なのではないかと思う。 会話による影響についてネットで調べてみれば、会話の多い

          学校に行ったら息子の存在が抹消されていた?

          行事があって久々に学校に出向いたら、息子は居ないものとなっていた。 ような、とても寂しい気持ちになった。 学年末は特にクラスや学年が一体化して気持ちが盛り上がる時期でもある。 息子は不登校。 学校のありとあらゆる行事が苦痛になってしまっている。 でも息子は辛く苦しく行けない。 いや、行かない。 盛り上がるのも、苦しむのも、どちらもあっていいと思うし、各個人の感じ方は、どこまでも自由でいい。 息子は学校に行かない選択をしている一方で、私は学校がどんな感じになっている

          学校に行ったら息子の存在が抹消されていた?

          甘やかし。

          今日も朝から言葉の節々に強い圧力を食らって、やられています。 「お母さんが、お子さんを甘やかし過ぎるから、こんな状態なんですよ。」 というニュアンスをグリグリと。 ぐうの音も出ません。 す、すみません…。 としか言いようがありません。 第三者であるその道のプロフェッショナルの方々が「私の甘やかしが原因だ。」と仰るのなら、きっとそうなのだと思います。 私に甘やかしているという自覚がないのが申し訳ないぐらいです。 でも一方、こんな気持ちもあります。 私の生きてき

            学校が合わない母。

          小学生の息子2人中、2人が超学校嫌いになり、一人は不登校。 もう一人は、別室登校をしている次第です。 こうなると、必然的に学校と親(つまり私)のやり取りの機会が爆上がりする訳です。 別室登校の息子は、毎朝送りが必要なため、私は毎日学校の様子を見ることになる。 次第に嫌でも、学校の事に詳しくなってくる。 そして、ある日わかってしまった私の本心。 私、学校ムリかも〜。 事実、私は学期終わりに近づくと長期連休が待ち遠しいし、学期始めが近づくと、胃がムカムカしてくる。始業

            学校が合わない母。

          できない。を理解してもらうのは難しいようだ。

          何度も、何度も、何度も。 「頑張っているのですが、期待に応えることができません。 もう少し、そちらからの努力目標を下げて頂けませんか。」 (私としては、もうすでに努力250%ぐらいの状態です。  今にも倒れそうな状態です。) と伝えているのですが、 どうやっても、伝わりません。 どうしたら良いのでしょう。。。 いつもぶつかるのがこの問題。 「頑張れない」と「頑張らない」 結果が出ないと、頑張り足りない。 という評価を受けがちなのですが、果たして本当に そうなのかと毎

          できない。を理解してもらうのは難しいようだ。

          しとしと

          心が疲弊し続けているのに、 休むこともままならず、だるま落としのだる まのように、次から次へと難題が積み上がる。 もうダメだ。と思って、人に助けを求めても 助けてもらえず。 バランスが悪いまま積み上がってしまっただるまは、今にも崩れ落ちそうだ。 何に救いをもとめれば良いのか。 うなだれるように、ベッドに横たわる。 あとは寝るだけ。 しかし、また何度も夜中に目覚めるのはわかっている。 … しとしと。 聞こえる。 しとしと。 今晩は雨か。 しとしと。 雨の音

          もっと頑張れ?なんで?

          「もっと頑張れ。」 「未来の為に、もっと頑張れ。」 また言われてしまった。 もう頑張れないところまで、頑張っているのに、まだ足りないらしい。 今をやり過ごすだけで必死なのに、未来の為 にまで頑張れと言うのか。 私に言わせれば、未来の為にまで頑張るなんて、はっきり言って欲張り過ぎだ。 そもそも頑張るというのは、人に強要される物でもない。何かの目標が内側から沸き上がり、気がついたら頑張っている状態なのが、頑張るという姿だと思うのだ。 無理やり他人から頑張らされるのは、ただ

          もっと頑張れ?なんで?

          生きている意味、生きる意味

          辛い事が立て続けに起きたりして、もう消えてしまいたい。そんな風に思う時に、ふっと頭をよぎるのは、こんな事。 こんなに苦しい事ばかり。 何の為に生きているのか。 生きている意味を問うてしまう。 何故だか生きている事にやたらと執着してしまうのである。 そんな私であるが… 出かけようと車のエンジンをかけたところで、一匹の蚊が迷い込んでいる事に気がついた。私の目の前をプンプン飛んでいる。 次の瞬間、ほぼ習慣的にといった感覚で、蚊を両手でビシャッとやってしまった。 手のひらに

          生きている意味、生きる意味

          もう、疲れきった…

          何をやっても、どうもうまく行かない。 というか、状況はどんどん悪くなる。 ぶっちゃけ、これが本音。 もう、疲れきった… ただ、ただ素直にそう思う。 疲れきった… 自分に正直になって、そう思う日があってもいいよね。倒れこむ日があってもいいよね。 よく頑張った。 と、立ち止まる日があってもいいよね。 こんな時は、何もしないに徹する。 状況をよくしようとして、焦らない、動かない。 だんご虫の様に、まん丸くなってコロコロ転がっておくのさ。

          もう、疲れきった…

          稼ぎ0円という仕事。でも幸せになれる。

          私は専業主婦です。 外で働いていない主婦です。 先日、クレカの申請をする際に年収を書く欄があったのだけれども、記入した金額は、 0円。 改めて、 お金を1円も稼いでいないとは。 周りの主婦友たちは、一番下の子が年長ぐらいの年頃になると、働き始める人がパラリバラリと出始め、子どもが小学生にもなると殆んどの人が働きに出て、小学生の子どもがいるご近所さんたちの駐車場は、昼間はきれいにガラガラだ。 あら、私だけ。 私だけ働いていないわ。 焦っていた時期がないと言えば嘘にな

          稼ぎ0円という仕事。でも幸せになれる。