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場面緘黙症を問題扱いしない事にした

数年前にパニック障害を発症した事による
私の最大の学びは、

「どうにもならない事は、どうにもならない。
 どうにもならない事は、どうにもしようがない。」

我が家の次男君は、
場面緘黙症です。
幼稚園入学の次の日から、外で話さなくなりました。

診断名は、
「自閉症スペクトラム」となっています。

今年は年長さんになり、年が明ければ、
いよいよ小学校に入ります。

支援の必要な子どもとして、
幼稚園や病院、支援センター、療育施設、
この夏からは、教育委員会も入り、
たくさんの支援を受けています。

が。

しゃべりません。

やばい。小学生になってしまう。
なんとか、小学生になるまでには、話ができるように
したい。

そんな思いが重なり続け、8月に入ると
もう、私の心は息切れ状態。イライラ状態。

もう、なんで話さないんだよー!!!(怒)
って思う所まで来てしまい、

あ。。私、ここでブレーキかけないとマズイ。
親子共倒れする。

と立ち止まりました。
(自分で言うのもなんですが、
ふふ、なんてったってパニック障害経験者。
ヤバい境界線、見極められるようになったわ。)

で、思い出しました。
あー、そうだった。そうだった。
「どうにもならない事は、どうにもならない。
 どうにもならない事は、どうにもしようがない。」

ヒーローものなら、多分、ここで変身する場面。(笑)
変身した私は、こう思い始めます。

今の所、息子本人に
「話したいけど、できない。」
という苦しさや困り感は見受けられないし。
むしろ、本人は話したくない。と言っているんだから、
話さなくて良くないか?

小学校になったら、躓くかもしれない。
小学校に合わないなら、ムリに合わせなくて良くないか?

結果的に本人が「自分はこれでいい」と思えていたら
いいわけで、私や社会が、彼の凹んだ部分を指摘して
それは、問題だ。
解決に向けて、なんとかしなければ。
と、彼を駆り立てる事は、
そのままの彼ではダメなのだとみんなで寄ってたかって
自尊心を削っていく作業ともいえるかも。

だから、こう思う事にしようと腹をくくろうと思います。

第三者から、障がいがある。と認定されたりしたら、
障がいという認定自体はあまり意識せず、
支援が受けれるんですね。ありがたい。
以上は考えないようにする。

うちの子にも、いい所いっぱいあるんです。
話さない事は、この子を構成する全体から
したら、ある一部の事なんです。
母子間では、それ以上掘り下げない。


既存の組織に添えなかったら、問題。
みんなができる事ができなかったら、問題。
だから、みんなと同じようにできるようにしよう。

っていうのは、
持って生まれてきたものを否定し、
人間はすべてをコントロールできるという勘違いであり、
傲慢でもあるんじゃないか。

それでも、
税金で手厚く支援をたくさん受けさせていただいている
事には感謝以外の何物でもありません。
少しでも、本人が快適に生きていけるように。
みんなで安心して生きていくための社会のルールを学ぶ場や、人は暖かい事を知る大切な機会を頂いています。


引き続き、支援も受けながら、
私は、
本人の生まれ持ったものを否定せず、
問題視せず、
受けられる支援は受けながら、
伸びるところは、伸ばせたらいいな。

ぐらいの長い目でゆるーく行こうと思います。


私が高校生の時、
クラスに一言も話さない子がいました。
話さないけど、
毎日学校に来て、授業を受けて、家に帰る。
今思えば、彼も場面緘黙だったのかもしれない。

でも、誰も彼の上げ足をとったり、イジメたりからかったりする人はいませんでした。

先生も、見守る姿勢で一貫していました。

彼は、彼なのだと受け入れられていました。
(今、思えば、なかなか良い学校&生徒たちだわ)

今、わが子が場面緘黙症となり、
あの当時の彼の姿を何度も思い出します。
そして、今、
彼のように高校に行けたらいいな~ていう
私の息子への目標の姿でもあります。

高校時代に、彼と同じクラスに居合わせた事に感謝。
そして、彼の存在に今、本当に感謝しています。

毎度思いますが、
誰しも、
どこかで誰かを救っている可能性がある。
ありがとうという声は直接届かなくても、
めちゃめちゃ感謝されている可能性がある。

って、やっぱり思います。












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