良い街とはどんな街か?
まちづくりの仕事をしていると、一度は考えざるを得ないテーマがある。
それは、
良い街とは何か?
理想の都市の姿、理想の街の姿とは?
持続可能な都市とは?
といったテーマだ。
もちろん、都市・街といっても地域差もあり、一概に言えない、という話は一つの考え方だ。
一方で、「街づくり業界」にとっては、現代は時代の転換点でもあり、こうしたテーマに向き合わざるをないという面もある。
時代の転換点という理由は、明治以降の人口増加から人口減少に転じるタイミングであることであり、都市部への人口集中のトレンドは続きつつも、拡大の一途を辿っていた市街化(野畑や自然を宅地化すること)が一定落ち着き始めているためである。
それは、都市経営的な観点から見ると、東京都心部のような一部の例外を除き、人口増加に支えられた税収が落ち着き、日々の消費などの経済的発展が頭打ちになる。
それはもう少し専門的に言うと、地域から生まれる余剰が減るため、地域への再投資がされなくなる、とも言える。
都市・街とは物理的な装置という側面もあるため、都市インフラの維持管理という大きな社会問題も含め、本来的には再投資し続けないと陳腐化するものである。
平たくいうと、経済的成長以外で街の価値を定義しなければいけない場面が増えてきている、とも言えるかもしれない。
そうした時代の転換点に立っていると、あらゆる機会で、冒頭に述べたようなテーマを関係者で議論せざるを得ない。
ゆたかな社会とは何か
良い街、理想的な街の姿、持続可能な街の姿、というのに明確な社会的なコンセンサスはない、と思う。
少なくとも都市計画という学問領域において、総合的な基準や指標というものは存在していないと認識している。
一つヒントになる考えがある。
経済学者の宇沢弘文氏が「社会的共通資本」という本の序章の冒頭に以下の記載がある。
こうした社会をどのように作っていくか、その鍵を握るのが「社会的共通資本」にあるというのが本書のテーマである。
社会的共通資本については別の機会で紹介したいと思う。
もちろんこれが絶対的な定義でもないし、いろんな考え方はあると思うが、私の知る中ではこの冒頭の定義は、理想的な街、持続可能な街などを考える上で、そのポイントがとてもコンパクトに表現されていると思う。
そして、こうした考えを、現実的な各都市の状況に照らし合わせながらより具体的に掘り下げて、テクノロジー、データなど用いることもさることなが、都市経営的な視点で地域をよりよくしていくという官民の取り組み、政策への落とし込みなどが今後益々増えていくべきと考えている。
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