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お金が中心ではない経済圏を支える社会インフラを、ビジネスを通じて創り出す ー背景としての自分前史

私はまちづくりの会社で働いている。

私の今の最大の関心事は、これからの時代のまちづくりとは何か?そして、企業人であるため、それをビジネスとして持続可能な形でサービスを提供するためにはどうすれば良いか、という点である。

企業人としての自分は、(当たり前なことではあるが)会社に事業面で貢献する必要がある。

その一方で、なかなか難しいのは、「まちづくり」という領域(その領域をどう定義するかによるが、主に不動産事業と捉えると)は、既存の延長線上では成長するビジネスとは言い難い。その理由を端的にいうと、人口増加によって支えられてきたビジネスだからだ。

そうした中で今私が取り組みたいと考えていることは、まちづくりというものを現代的な環境に照らし合わせて再定義して、新たな市場を作るということ。

そして、2018年頃から見え始めた道の探索の旅を経て、昨年から私が踏み出し始めた新たなチャレンジは以下だ。

お金が中心ではない経済圏を支える社会インフラを、ビジネスを通じて創り出す

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このnoteは、42歳を迎えた私が、これからよりしっかりと地面に足を踏み込んで走り出すために書くための、自分自身に向けたメモである。

はっきり言って私以外の人が読んでも全く面白くない内容だと思う。

背景としての自分前史

なぜ、先述したようなチャレンジに取り組もうと思ったか。実は自分でも上手く表現ができない。しかし、地に足つけて物事を長期目線で取り組んでいくには、この辺りを明確化させておいた方が良い。
そのためには、自分自身の経験を振り返ることで、今を意味付けしていくのが一番早いと思った。
connecting the dots。

■東京の郊外である八王子・高尾の、40年前にできた住宅地で高校まで過ごす。私が生まれた時にできた住宅地なので、私と同じ年齢である。
今思い返すと、この(現代都市のライフスタイルを象徴する)郊外住宅地という環境の中で過ごした18年間が、私にとっての「人と人の関係性」の基本的な感覚を根付かせたように感じる。

■大学は筑波という計画的に作られた街の国家的象徴のような場所で過ごした。
そして、「社会工学」という学科の中で「都市計画」を学ぶ。
社会工学というのは、一言で言うと、社会課題を工学的アプローチで解決していくことを学ぶ学科だった。経営、経済、社会学、建築、土木、統計学、などを広く浅く学ぶ。今振り返っても、都市計画という領域を、建築や土木というからではなく、社会工学だったことは幸運だったと強く思う。
ちょうどこの頃は、ハード中心の近代都市計画から、ソフトの重要性も意識されはじめた頃だ。

■大学4年間は、勉強よりアイスホッケーに熱中していた。キャプテンをやり、プレーヤーとしては2流だったが、20名以上の組織を率いるリーダーという貴重な経験ができた。

■卒論のテーマは「大学の中のパブリックスペースの評価」
この頃から、人にとって居心地の良い社会的な居場所とは何か、公共的な空間のあり方、デザインへの強い関心があった。

■修士に入ると、大学とは一転、都市計画の勉強が楽しくてしょうがない2年を送る。都市計画の勉強にとって重要なのは、街を歩くことである。つまり旅行すること自体が勉強、というとてつもなく恵まれた学問だ。
マレー鉄道をタイからシンガポールまで1週間とか、ヨーロッパをイギリス、フランス、スペイン、イタリア、ドイツと50日間放浪したり、日本も1週間車中泊しながら九州南端まで行くとか、全て一人旅だったが、とにかく楽しくてしょうがない2年間だった。多くの建築、街路、広場、美術館、食事、人の営みに触れる機会となった。
こうした放浪ひとり旅、勉強兼趣味は社会人になっても結婚するまで続く。この積み重ねが今に生きていることは言うまでもない。
過ごしてみて心地よい街、住んでいる人から愛着を感じる街、文化の積み重ねのある街、活気を感じる街、、といった自分なりの「良い街観」が形成されたように思う。

■修士論文のテーマは「八王子の郊外住宅地の変容と持続可能性」
郊外住宅地という現代都市特有の「作られた町」の存在が、一時的な市場の原理で作り出された存在であり、維持するメカニズムが内在されていない、という内容。
修士になった時に自分が何を研究したいんだろう、、と考え始めた時、久しぶりに実家に帰ってみた故郷の景色がなんだか昔とは違って見えた。その瞬間から「郊外住宅地」という存在に急に興味が湧いてきた。
この時の学びを通じて、戦後の成長期にどのような経緯で首都圏が作り上げていったかを空間的、社会制度的、社会機運的などの複数のアプローチから深掘ることができた。
この研究から得られた自分なりの結論は、放っておけば物理的な空間は朽ちていくのが自然の摂理であり、それを維持したりより良くするのは、住んでいる人達次第ということ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/41.3/0/41.3_671/_article/-char/ja/

■2004年に私鉄に入社して2年目から約10年、都心の再開発に携わる。駅前一番立地の不動産事業の事業計画、再開発のため地権者と協議する経験に加え、1フロアまるごとカルチャースペースの企画から運営まで携わるという特別な経験をする。自分の中では社会人前半での最大の経験であると共に、良くも悪くも、経済(ビジネス)と文化・社会的意義の狭間で苦しむという経験をする。
別の角度から見ると、儲からない事業をすることに対するプレッシャーと葛藤だ。
しかし、この時に一緒に仕事をした人たちは、デザイン、アート、社会福祉、公共などの分野において、世の流れとは一線を画して、単純に資本の原理だけでは割り切らず、本質を見極めながら、資本を使いこなそうとする方々であった。
この出会いから私自身は大きな影響を受けている。
プロジェクトマネジメント・リーダーという面でも、資本の原理の葛藤も、そしてその先に進むべき道筋という面においても、社会人経験前半の人格形成にとてつもなく大きな経験となった。
http://www.hikarie8.com/home.shtml

■上記の10年間の途中2007年に、東京都庁に出向して交通の都市計画を担う部門で公務員を2年間経験。
国、都、区という行政のレイヤー構造、議会、自治体の論理などを学ぶ。
転職経験は無いのだが、自組織以外での2年間は本当に多くのものを学ぶことができた。
こうした行政経験を通して、行政と公共は一緒くたにされがちだが明確に異なること、また公共分野にはとてもつもなく大きな課題と、それと同じくらい大きな可能性を感じるに至る。

■都心開発の経験の終盤の頃、ちょうどベンチャーブームが再来し始めたタイミングだったこともあり、イノベーションを生み出す街とはどんな街か、また不動産などの「場」がどのようにイノベーションに寄与できるのか、ということに強い興味を抱くようになった。
2013年、ちょうど会社の研修制度でサンフランシスコ・シリコンバレーに1ヶ月滞在するというプログラムがあったので飛びついた。
この時はまだ、ハードなまちづくりでできることは何か、という視点から物事を見ていたが、次第にハードだけでできることの限界をうすうす感じ始めていたかもしれない。
airbnbやuberというものがメディアで扱われてきたタイミングだ。今振り返るとデジタル中心だった産業から、デジタルとリアルを組み合わせる産業に変化し始めたタイミングだったのだと思う。当時はここまで大きくなるなんて全く想像していなかった。

■2015年の後半から都心開発から異動して、川崎、世田谷、大田といった都心近郊地域での公民連携プロジェクトを担当することになった。
上述した通り、それまでの経験で公共分野に強い可能性を感じていたが、方法論までがあった訳ではなかった。だから、可能性を感じた企画を立ち上げてまずは実践してみる、という今振り返ってみると、勝手に多産多死を繰り返した期間だった。
地域将来ビジョンづくり
公共空間の活用
モビリティ実証実験
マンション建替検討
公共施設PFI検討
ワークショップ(官民など)
空き家リノベーション
産官学巻き込んだアートイベント
地域住民主体イベント
地域商店支援
、、、といった実践レベルは様々だが、トライ&エラーを積み重ねた。
一つ一つについて語り始めると長くなるので別の機会で触れたいと思う。
自分自身の考えの浅はかさのため、この頃の取り組みは中途半端に終わってしまったものばかりであり、ご一緒いただいた方々の中にはご迷惑をおかけしたと感じている。
しかし、こうした取り組みの一つ一つを通して、たくさんの現実と向き合うことができ、社会の仕組みの限界や、ビジネスとしての可能性有無などを肌で直接感じて身をもって現実を知る、極めて貴重な原経験となった。
目に見えている問題だけを解決しても変えられない、構造的な社会の仕組みの問題というものに気付かされた3年だった。

■時同じくして、2016年に国内MBAに通う。
これまでの経験から都市(公共)を持続可能にするには経営的視点が大事になるのではないか。つまり「都市経営」という領域が存在しても良いのではないかと考え始めていた。そうしたこともあり、経営を学ぼうと思ったためだ。
もう一つの理由は、今やっている「まちづくり」という仕事や、今いる会社が今後、どのような事業で成長できるのかを見極めるためだ。都心開発での儲からない事業でのプレッシャーや劣等感を経験していたので、見返したいという想いもあった。
MBAではいろんなことを学ぶことができた。特に今でも染み付いているのは、経営戦略でありマーケティングだ。

■人生2回目の修士論文のテーマは「スタートアップ企業の集積状況とその要因」
図らずもだが、2回の修士論文により、「郊外と都心」「住民と企業」というある意味での2極のものを、同じように立地状況を可視化して、その集積要因を分析するという機会を得た。
この2つの研究によって、東京という大きな器であり経済圏を、経済成長が始まる戦後以降から停滞し始める現代までの時間軸を通して、空間的、人的活動的な変化を解像度高く捉える機会となった。
人が集まる意味、集まって活動・住む意味、継続して活気が生まれる街と廃れる街の違い、、、そんなことを都心と郊外という特性の異なる空間の共通性や違いを、理論と実証研究を通してメタ的に考えるきっかけとなった。

■いろんな角度から都市や街を見たり、実践したり、研究したりするにつれ、2018年ごろからふつふつと、ボンヤリだが思っていることがあった。それは、「今の社会の仕組みには明確な欠陥がある」ということ。また「今までのまちづくりの事業の方法論では社会貢献的にもビジネス的にも限界がある」ということ。そして、なんとなくだが、それらは正しく課題を設定できたり、正しく技術を使ったりすることで、解決可能なものではないかという思いである。
そして、公共分野・都市分野において、経営的視点とデジタルという新しい武器も使いこなすことで社会に対して価値を提供しながら大きなビジネスは作れないか。そういうことを考えるようになった。
30歳くらいから毎年日記(毎日書いている訳ではない)をつけており、年ごとにノートを刷新しているいるのだが、2018年の念頭に書いた、2030年くらいまでの自分自身が向かう目標が「人間性に基づく社会インフラの構築」だった。これまでの経験と未来を考えて絞り出した方向性だ。

■振り返えってみると、2015年までの社会人前半の経験(都心開発、行政出向)で見つけた小さな種を、2015年〜2017年の約3年間の模索・探索期を経て、2018年に一つの道筋を見つけたのだと思うし足場が固まった瞬間かもしれない。明らかな転換点だったと思う。

■朧げながら見えてきた「道」を歩みはじめた2018年、ヨーロッパを2週間巡り、スマートシティ、デジタルなどの分野で先進的と言われている取り組みを視察して、現地で当事者の方々にお話を伺う機会に恵まれた。
そこで明確に感じたのは、技術以前に社会の中で最も考えるべきテーマになっていたのは「環境・循環型社会」であり「地域コミュニティ・民主主義システムの民主化」であること。そしてそれらについて、データやテクノロジーを活用する取り組みが日本より遥かに進んでいたことである。

そして、この時に感じたもう一つの重要な仮説は、欧州諸国と日本との人々の公共意識の違いだ。自分の住む・活動する場所への関心の度合い、と言っても良いかもしれない。仮説の域は出てないが、現地で見たり聞いたりしたことを、自分自身の日本国内での経験を照らし合わせると、明らかに市民意識に違いを感じた。

■2019年からは、2018年頃からぼんやりと見えてきた方向性を、約2年かけながら会社の方向性と、自分の仕事に落とし込む努力を続けてきた。

そして、昨年2021年からはようやっと自分なりに納得できるアクションを、小さな一歩だが、スタートをきることができた。
世の中にインパクトある形にするためには5〜10年という時間が必要になるし、うまくいかないかも知れないが、今のところは腹落ちしながらやれている。
それを一言で表現すると、以下になる。

お金が中心ではない経済圏を支える社会インフラを、ビジネスを通じて創り出す

振り返りが長くなってしまったが、やはりこれまでの経験の積み重ねで今がある、という実感を持つことができた。

心のスイッチが切り替わった瞬間

過去を振り返る中で忘れられない瞬間がある。
詳細な日付は覚えてないが、2011年の3月中下旬頃の夜、会社帰りに渋谷のスクランブル交差点を眺めた時だ。

計画停電のためネオンが消えて暗くなった、いつもと違う渋谷。
もしかしたら不謹慎かもしれないが、心地の良さというか、こういう渋谷もあってもよいんじゃないかと感じてたように思う。
資本の香りが消えたパラレルワールドとしての渋谷。
結構長い時間、立ち尽くして交差点側をボーっと眺めてたと思う。

そして、この時に強く心に思ったことは、これからの人生は、なるべく「根本的な社会課題・社会の仕組み」に対峙していきたい、自分の時間を捧げていきたい、という思いだった。

この日の思いを忘れたり紆余曲折はありながらも、心の奥底では、その思いの塊のようなものが徐々に沈澱していって今に至る気がしている。

これから追求し続けるテーマ

お金が中心ではない経済圏を支える社会インフラを、ビジネスを通じて創り出す

この挑戦は、変な言い方だけど、結構気に入っている。

ただ、答えのない道だし、気の遠くなるような道なのだと思う。

だから、いろんなことをもっともっと勉強して、考えて、議論して、そしてビジネスとして追求したいと思っている。

なぜ人は集まるのか?
集まって住む理由は究極的には何か?
民主主義はどこまで自律分散できるのか?
貨幣価値に換算できない営みの価値をどのように扱うか?
お金を本当に必要な人に流すためには何が必要か?
人間はなぜ良いことをするのか?
「贈与」とは?「利他」とは?
新たな人と人の繋がりを作り出せるか?
未来の地縁とは?

考えれば考えると深くなるし、幅も広がる。大変だけど楽しくて仕方ない。


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