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2枚の始末書 -2-

前回はこちら。

始末書」と「顛末書」。

色々と諸説はあるようだが、どちらかというと始末書は反省といった「思い」が乗っかるのに対し、顛末書は事実ベースで淡々と組み立てられるような感じがする。あくまで感覚的な話だが。もしかしたら、社内的にキチンと定義づけられているケースもあるかもしれない。

こうやって書いてみると大した違いがないじゃないか、とも思うが、当人にとっては天と地ほどの差がある。特に、社会人経験も浅かった20代後半の私には。

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原因は取引先の実態把握の甘さ。当初想定していた内容に対して、蓋を開けてみると乖離していることが判明した。もちろん、自社にとっては悪い方に。先方としては、自社の経営内容が悪いことを正直に取引先に伝えることは利害に反することもあるわけで、できるだけ問題がないように振る舞う。数字をごまかしてでも。こちらは、それを見破り、実態にまでたどり着かないといけないわけで、ベテランの社員でも乖離が生じることは度々あるくらい、容易なことではなかった。

でも、それは起こった。

先ずは直属の上司である部長に報告。当たり前だが、注意を受ける。なぜなんだ?どうするんだ?問題はこれから。

部長は、各部員からの報告を集約し、定期的にその上の局長に報告。場合によっては、そこで激しく叱責されることもあったという。「今すぐ、窓から飛び降りろ!」(6階にて)と言われた部長もいたとか、いなかったとか。もちろん、それらは部員の見えない個室で行われるのであるが、毎回、自席に戻ってくる各部長の表情がげんなりとしていた。よく部員一同で、「お疲れさまでした!」と迎えたものだ。どっちが上司かわからない。

そして、それは起こった。

当日も、部長が席に戻ってくる。イライラした雰囲気。着席するや否や、「小西くん、ちょっと」と呼び出された。もしかしたら、呼ばれるかな、と思っていなかったわけではないが、やっぱり呼ばれた。

「例の件だが、局長が報告を聞いて怒っちゃってさ。始末書を書かせろ、って言うんだよ」

あー、ついにきた!人生、初の始末書。噂には聞いていたが、思ったよりも早かったな…。カッコ悪い。それにしても、始末書か。

なんでもないような素振りをしようとは努めるが、とはいえショックはショックだ。

「わかりました…」

が、部長の話は続く。

「そこでだ。始末書は書くが、タイトルは顛末書としろ。なーに、どうせ提出先は別部署。提出されたか、どうかのチェックだけでタイトルまでは確認しないだろう」

「はぁ、わかりました。顛末書ですね」

部長の指示通り、内容は始末書だが、タイトルは顛末書とし、部長に提出。確かに、その後も、部長の言う通り、書き直しさせられることもなく済んだ。

しびれた。あの一言、「顛末書でいいから」という一言で、私はこの部長のファンになった。「この人のためなら…」と、まさに虜にさせられた。

自分だったら、あの状況で、ああいう機転を利かせられたであろうか?そして、なによりも、それを実行させられていただろうか?

今思うと、あの行動は私を守るため、ということもあっただろうし、当時の体制に対する、ささやかな部長の反発もあったんだろうと思う。もし、局長に気づかれたらどう切り替えしたんだろうか。たぶん、あの人のことだ、そのときにはそのときでまた機転を利かせて乗り切ったんだろう。

なんとかを殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の3日もあればいい、というが、人を虜にするには多くの言葉や行動はいらず、たったワンワードで十分だ、ということを実感した体験であった。そして、それはその後の私自身の組織のマネジメントにおける基礎となったことは言うまでもない。





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