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大学のような都市──Mall Boyz仙台公演に同行して

tohji擁するMall Boyzの公演に付き添って、仙台を訪れた。

少し前から彼らのマネージメントや制作進行を手伝っていることと、以前から仙台のシーンが気になっていたこととが偶然重なり、今回足を運ぶことになった。

仙台のシーンやSHAFTなどのvenueに関心を持っていたのは、主にムニくんというDJの影響が大きい。政治や生活に対する問題意識を制作に結びつけようとするスタンスには共感するところが多く、会ったことはないもののどこか身近な存在に感じていた。

また、ある時期からムニくんのガールフレンドであるナルちゃんをフォローしたことで、彼女の活発な活動とインスタの投稿やストーリーから、仙台で活動するアーティストやDJの情報が入ってくるようにもなった。

(ムニくんとナルちゃん)

フォロワー数と無関係に豊かなシーン

そもそも仙台を興味深く感じたのは、現地のDJやアーティストがパーティを自治的に行なっているように見えていたからだった。業界の年長者が無駄な介入をすることなく、チャレンジングで新しい試みをしようとしている印象があった。

東京や海外など、他の地域からゲストを呼んで行うパーティーであっても、パーティーを企画運営するクルーの多くは、学生世代の若いプレイヤーだった。地元のアーティストやDJも、前座や時間埋めのような扱いになることなく、むしろオーディエンスと強くエンゲージしているように見えた。

(今回もChunkyismという学生を中心としたクルーの共同主催だった)

仙台を中心に活動するアーティストやDJたちのインスタグラムのフォロワーは300-800人程と、そこまで多いわけではなかったが、その数字とは無関係に熱量があった。東京にいる自分の感覚では推し量れない何かがある。この人数の少ないサークルの中から、どうやってこれほど豊かな「ユースカルチャー」が生まれるのだろうかと、ずっと気になっていた。

この原稿を書いている最中、ブッダさんが近い内容のことをツイートしていた。

外から人気のあるタレントを呼び込むだけでなく、そこでインスパイアされた自分たちのクリエイションをさらにぶつけることで、自分たちの表現を更新していく。そんなインディペンデントの理想がある程度実現しているのかな、と仙台の若いシーンをSNS上で観察しながら感じていた。

学生世代が自主的に企画したイベントに、同じ大学やサークルの仲間を呼び、またパフォーマーやアーティストもその中から現れ、その役割も臨機応変に変わっていく──そんなある種のエコシステムがシーンのなかで機能しているように見えた。

仙台という「学生街」の持つ新陳代謝機能

今回の同行でムニくん、Paraくんと飲む機会があり、そんな仙台の若いシーンの特徴について議論した。仙台で、なぜこれだけMall Boyzが熱気を持って迎えられたのか。もちろん東京で行われたPlatina Adeや先日のトキマは僕が見たことのないような勢いと物凄い熱気を持っていたのは確かだ。しかし仙台でのショーケースはそれとはまた違った種類の共振だったように思う。

直接の答えになるかはわからないが、「仙台とは東北地方や周辺の街から学生が“出てくる”街である」という指摘をムニくんがしていた。もちろん東京にも学生街はあるが、街の数自体が多いため人も分散する。一つの街にすべての学生が集まってくるという感覚は、なかなか東京では得られない。

学生街は、4-5年というスパンで全ての人が入れ替わる。だから上の世代がつっかえないし、大人がビジネスの話をしてくることもない。仙台のオリジナリティや自治的な雰囲気の要因としてそこが重要なんじゃないかと、話を聞いていて感じた。

大学や地域は、都市のように「自分の好きなものだけに触れ、自分の好きな人とだけ会う」という状態にはなりづらい。一定の強制力によって、様々な人と関わりあう必要がある。今回のイベントでも、タイムテーブルにダンスが入っていたのが面白かった。東京なら、クラブに音楽を聴きにいってダンスを観ることは少ないし、Tohjiとダンスが同じタイムテーブルに並ぶことはないだろう。適度な小ささや制約があるからこそ、実現する多様性があると感じた

“大学”のような都市

学生ないし“大学”は、僕自身にとっても重要なモチーフなので、ムニくんの話はなおさら興味深かった。

自分のコミュニティを表現するときに、僕は比喩として「部室」という言葉をよく使う。同じような志を持った人たちが、しかし何をするでもなく、特に目的を持たずにただその場所に居ることで生まれるものがあるという直感を持っているからだ(言葉として部室がいいかどうかは微妙なところ)。

(数年前のポコラヂ新年会) Photo by Jun Yokoyama

ちなみに、Jun Yokoyamatomadらと新しく始めるプロジェクト/法人の名前は「CANTEEN(=食堂)」になりそうだ。この「食堂」という言葉で僕が連想するのは、「大学の食堂」。

本来、そこには自分の腹を満たすという目的以外存在しない。大学という大きな生態系に属する人間たちが、一時的に集っては去っていく。一緒に食事を食べる時もあれば、ミーティングをする時もある。単にだらだら集まってしゃべるだけの時もある。「食堂に行く」という行為自体が、大学という大きくて緩やかなコミュニティを感じるための方法になる。

今回の仙台ツアーで気づいたのは、理想のコミュニティや都市生活を考えるときに、自分が思いのほか大学や学校というモチーフを好んでいるということだった。

思えば以前から、「地域」や「コミュニティ」という言葉にはもどかしさを感じていた。自分はあくまでも都市に生まれ育った人間で、そこから見た地域は必ず理想化されるか、そもそも目に入らないかのどちらかだ。「コミュニティ」という言葉は、都市の不毛さを常々感じている自分にとっては魅力的な概念に思えるが、自分のこととして考えるのが難しいと感じていた。身近で実際に地域にコミットしている人の実践を興味深いと思いつつ、実感としては理解できていない。だから、コミュニティという概念をどう使えばいいかという迷いがあった。

「大学」という言葉には、アイデンティティとコミュニティの狭間を表現するニュアンスがあり、自分にとっては「地域」よりもはるかにしっくりくる。

広い環境と高い自由度のなかで、自分が何者でもないという怖さから逃れるため、仲間と何かを成し遂げたいという都市人的な思いも生まれるし、同時にそこには完全な自由があるだけではなく、「大学」という場所や制度による偶然的で強制的なつながりも保たれている。

青春やモラトリアムという言葉につきまとう湿っぽいニュアンスを取り払いつつ、その自由度とつながりのバランスを大事にする。大学や食堂という概念なら、そんな含意を表現できるのではないか。仙台という学生街を訪れたことで、改めて自分の思考を整理することができた。

東京に戻って

ショーケースが終わった後、仙台の宿泊は簡易的な漫画喫茶でほとんどちゃんと寝れなかったこともあり、次の日はすぐに仙台の街歩きに一人で出かけた。古着屋や服屋のある通りやエリアをムニくんに聞き、いくつか訪れた。

前日に飲み屋を訪れた際にムニくんが喋っていた古着屋の店長の店である「ooooo」では、店長には会えなかったものの、「昨日もその黄色のパンツ履いてましたか?」と声をかけてくれた店員さんにものすごく親切に仙台の古着屋事情やファッション事情を教えてもらった。

こういうスケールの小ささから生まれる出会いや密なコミュニケーションがいいなと思ってしまうのは、都心の人間の偏った見方そのものだと自分でも思うが、前日のショーケースで多くの答えを得ることができたこともあり、この日だけは懐疑的にならずにその出会いとコミュニケーションを楽しんだ。

演者とオーディエンス、両者が出会う箱を用意する企画者。それらの役割が相互に関わり合いながら、同時にお互いがお互いへのアクセスを可能にすることで生まれる新しいリアリティ。それは僕がロンドンという街やインターネットカルチャーに惹かれた理由でもあった。

まさか仙台でそのことが再確認されるとは思いもよらなかったが、自分の良いと思えるtohjiやMall Boyzの音楽と、そう言った土壌のある仙台のシーンが共鳴した今回のツアーは、自分がやりたいことをまた信じて少しづつ積み重ねる勇気を得るためには十分だった。

疲れと寝不足から帰りの新幹線では爆睡したが、みんなと解散した後に家に帰る足取りは軽かった。新しい仲間と一緒に新しい景色を見れたことが何より嬉しかったし、それでしか目の前の現実を遊ぶことはできないと、また少し決意が固まった。

(終演後、仙台SHAFT前にて)

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