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依存症について

アルコール依存症(現在はアルコール使用障害に名称変更)や、セックス依存症、薬物依存症という単語は、誰しもが耳にしたことがあると思う。最近ではスマホ依存症、ネットゲーム依存症も出てきており、WHOは正式に"gaming disorder"を精神疾患として認定した。日本においても「スマホ依存外来」を設ける病院は少なくない。

生きていれば当然「我を忘れてのめり込んでしまう」ような経験は起こりうるものだ。人は何故、依存をしてしまうのだろう。

松本(2018)の論文に、興味深い一文を見つけたので紹介しようと思う。

**「人は快楽を得るための物質ではなく、苦痛を緩和する物質に依存してしまう」 **

この一文を読んだ時、「あぁなるほどなぁ」と深く感心をしてしまった。苦しい時、なんとかして気を紛らわせようとする行為を経験したことはないだろうか?辛いからお酒を飲む、辛いからギャンブルをしてみる、辛いから薬物に手を出す、そしてそれによって少しでも気分がほぐれてしまったとき、人はそのサイクルに依存をしてしまう。

しかし実際「その行為」で元気になっているかと考えれば、そうではないのだ。皆が想像しやすいであろうお酒で例えてみよう。

アルコールは、ある限度を超えて摂取をすると頭が痛くなったり嘔吐をしたり、それ自体が「快感がある」ものではない。ハイになっているときの記憶は薄い。心の苦しみを身体の苦しみに置き換えている時点で、寧ろ限りなく自傷近いと言ってもいい。

あまり世間で知られていない事実として、アルコールの副作用には「気分の浮き沈み」がある。お酒に溺れてしまうと、本来の「悩み」とは別に、アルコールが引き起こす"抑うつ感"が出てしまうことは留意すべき点だ。

【嫌なことがあるとお酒を飲む→ハイになる→アルコールが引き起こす抑うつ感が出る→またお酒を飲む】という悪循環が起こっている可能性は大いにあり得る。「眠れないから」と言ってアルコールを飲むと、睡眠の質が悪くなり、そこから引き起こる抑うつ感もあるだろう。

Khantzain(2008)は「依存者は自分には理解できない不快感を、自分がよく理解している、物質が引き起こす不快感に置き換えることで、『コントロールできない苦痛』を『コントロールできる苦痛』に変えている」と述べている。

自分の心のことってよく分からない。よく分からないから苦しい。でも「お酒で具合が悪い」とか「ゲームで徹夜して眠い」なら理解ができる。身体の調子が戻ると、なんとなく気分も晴れたような感覚になる。しかし物質で代用している限り、そもそもの問題解決にはならないことの方が多い。

誰だって苦しいのは嫌だ。孤独は怖い。私だって怖い。「怖いもの」を分解してみるプロセスは大切だ。なんで1人が怖いのか?寂しい?なんで寂しいのか?私はここに答えは書かない。きっとそれは人それぞれだから。しかし決まって言えることは、本当に欲しいのは「陶酔」でも「気が紛れる」ことでもなく、誰かの温もりなのかもしれない。その温もりは、単なる肌と肌の合わせではなく、自分の心を受け入れてもらいたかったり、肯定されたかったり、「あなたはあなたのままで愛している」と、そういう静かな(しかし確実に優しい)瞬間なのだ。

お酒やゲームや薬物やセックスに依存してしまう時、最初は必ずその向こう側に「人間」の存在がある。お酒を一緒に飲む人、ギャンブルやゲームをする仲間、薬物繋がりのコミュニティ、セックスは…言うまでもない。それが段々と、人ではなくて「物質」に毒されるようになってくる。「それを始めた」最初の段階を思い出してみて欲しい。

あなたが欲しいものは何だろう。きっとあなたが求めているものは、努力なしでは手に入らない。愛されたいと願うだけで、無償の愛は手に入らない。面倒くさくても向き合ったり、ぶつかり合ったり、相手を理解しようと勉強してみたり、そんな努力は少なからず必要だ。簡単に手に入る物質なんかより、その一歩を踏み出すだけで、人生はまるきり違ってくると約束したい。それについては今度、別の機会にゆっくりと書こうと思う。

依存症の治療は、本人の強い意思がなければ難しいと言われている。自分や、その周りの人が「依存症かな?」と思ったら是非専門の機関にかかるか、紹介をしてみて欲しい。正解なんてないけれど、苦しいと思ったら、変える一歩はどこにだって落ちているはずだから。

#依存症 #アルコール依存 #薬物依存 #ゲーム依存 #スマホ依存 #真夜中のつぶやき

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