コンビニに入るとき、 すれ違うように 何人かで出ていった人達がいた。 懐かしい雰囲気を感じたけど、 すぐには気づけなかった。 その中に君がいたってこと。 私が知っていた頃より、大人っぽくなった雰囲気。 私が知っていた頃より、低くなった声。 私が知っていた頃より、随分伸びた背丈。 ちっとも嬉しくない。 知らない間に君にはたくさん変化があって それを知らないのが悔しい。 『あの子は知っていてもわたしは知らない。』 それがなんだか、負けているように思えた。 あ
なんか、自己pr添削みたいなやつで PRだから長所のほうがいいみたいなこと 先生に言われたんですが 長所じゃないとPRにならないんですかね。 わたしは短所も強みに出来るかなとか、 短所も違う面からみたら長所って場合もあるじゃないですか。 自分の長所かくのが苦手すぎて(笑) よくわからなくて、 しばらく放心状態になりました(笑) どれだけ考えても長所というような功績もなければ 地位も名誉もない。 どうしたらいいんじゃ.......... 他人の長所はすぐ思い浮かぶのに
このまえ、友達と「子供の10年と、大人の10年の違い」について離した。 例えば わたしは 8歳が18歳と付き合っていたらとても驚く でも大人になれば 22歳と32歳の恋愛もまあ有り得る 実際両親も10歳ほど離れているし..... なんとなく未成年のうちの10年間と、大人の10年間というものは違う時間の濃さがあるのではないかと私は考えた。 未成年(こども?)のうちの10年ってかなり変化がある。 親への依存からだんだん自立していくし..... ひとりでご飯を食べれる
私の人生は他でもない自分への嘘だらけだ。 他人を守るために自分を捨てた嘘をつくことは簡単だった。 他人を助けるために自分に嘘をつくのも簡単だった。 他人を傷つけるより自分を傷つけるほうが何かを守れている気がしていた。 正直になりたかった、素直になりたかった。 つくづくめんどくさい人間だと私も思う。 どうしてわたしはわたしなんだろう。 ひとりきり、ワンルームのマンションでカーテンは閉めたまま膝を抱えて考える誕生日。 昔から存在感なんて薄いし、 人と関わるのが苦
わたしはいのちって承認欲求なんだと思っていました。 何かを見たわけじゃないけど生きてるとそう思うことがたくさんあって。 (ゆうてそんな長く生きてはいませんし、大人の苦しみや痛みもまだ知らないくらいです) 認めてもらいたくて、 存在を知って欲しくて、 注目されたくて、 なにげない日常のなかでの生活は 承認欲求まみれだと、ひねくれている私は そう考えていたのです。 華といわれるJKですが、 わたしのJK生活、そんなこともありません。 それはいろいろ考え込んじゃうから
まだ十数年の人生ですが、逆らえないものってあるなとおもいます。逆らえない運命もある。 別に無理に乗り越えなくても勝たなくてもいい。 不可逆なものもあるから。 そうやって思えばすこし軽くなる気がする、 自分の重荷が。 どれだけ頑張っても報われないことだって山ほどあったしこれから山脈を連ねるようにそんなことは続いていくだろう。 でもそのときに受け流せることも大事だとわたしは思った。 ちょっと折れても、泣いてもいいし、 強がりすぎたら自分が消えてしまうから。 感情を
『明日が怖くて眠れなくても、明日が来るのが嫌で泣いていても、 生きていれば寝ちゃえば明日って来ちゃうから。そんなのの繰り返しだ。』 と父が言ってくれたその言葉ですこし安心した。 時が流れるというのは、怖いし 絶対逆らえなくて 最近はやけに一日終わるのが早くて やらなきゃいけないことに追われて いやでいやで苦痛でしょうがなくても きっと世界のどこかにはこんなことより 苦しんでる人がいるとおもうから頑張れる でも自分の苦しみって自分にしか分からないから 他人の苦しみと比較し
分かっているけど、感情を上書きすることもそんなに良くないって分かってるけど、知らんうちに勝手にそうしてるから怖いよねー。極端を克服したいよなー。極端でよかったって思えるのは勉強とかくらいだなー。
極端な優しさも正義感も責任感も気持ち悪いから捨てちゃいたいような。『極端な』それらを持つと他人からの信頼は得られたとしても、いつか自分を見失ってしまいそうだ。
最近、ようやく昔難しいと感じていたエヴァンゲリオンのアニメ理解ができてきた気がする。 とは言いつつも、ぜんぜんまだわかってない部分の方が多いので語れることは少ないです。 タイトルの言葉はシンジくんが言った言葉。 ちょっとわたしそのとき 単純に いいなって おもった。何も考えてなかったけど、そのときは 素敵だと思った。 おそらくわたしはそういう社会を望んでいるんだとあとから思った。 綾波は「私の代わりはたくさんいる」的なことを言っていたとおもう。 いまの現実社会もそう
JKとやらの肩書きしかないこんな私の文章ですが いつも巡り巡って変動したりしなかったりするわたしの考えの記録として残しておきたいと思います。 にんげんって難しいなとおもいます。 JKという環境の中でも 学校、クラスという小さな社会の中でも そうやって感じることがあるのだから、大人の方々は凄いと日々思います まあ、『勉強することが仕事』というのは実に贅沢なことをさせて頂いているし、 そういった教育制度を作ってくださった方々にも感謝したいです。 世の中にはわたしのように