妄想:テロこそ強権主義の最高のごちそうである

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脅威こそが強権主義のもっとも力を発揮できるステージである。故に、テロを引き起こす予兆はごちそうができるまでの期間なのだ。

予兆通りテロが起きれば「脅威」が出来上がる。全体の安全を守るというシナリオの中のリスクとしての悪役である。悪役を徹底して打ちのめす「正義執行者」が強権主義の役割だ。

その正義の一つが、国内の悪の予備群を徹底的に排除することである。強権主義の国民は正義執行者側に立つのか悪の予備群側に立つのか選択を迫られる。一度、正義執行者側に立って近隣の悪の予備群を非難し暴力をふるって「対峙・退治したとして称賛」を得てしまえば、もう、引き返せない。称賛という調味料のうまみを知ってそれを手放せなくなる。悪の予備群がこれまで生きてきた中でも最高の素材として調理したくなるのだ。

悪の予備群とされた集団はいわれのない「悪の刻印」を押され、いままで仲の良かった近隣から差別され軽蔑され暗闇で暴力に見舞われ生命の危険にさらされることになる。「どの道、殺されるのなら逃げて逃げて逃げまくるか・・・相手を殺すか」の二者択一しかなくなる。

血気盛んな若い悪の予備軍は、まさに軍隊化する。テロリストの誕生である。「自分たちこそ正義である!」と信じてやまない筋骨隆々のおいしそうな素材となる。

強権主義の「正義執行者」はよだれを垂らしながらテロリスト狩りに勤しむ。できるだけ厳しく場合によっては見せしめのために残酷な狩りをする。そうやって、強権主義側にいることの安心感を高めていく。かつて、近隣の子供を分け隔てなく愛でていたあの住民が、若者に成長しテロリストに変貌したイキモノを惨たらしく打ちのめす。日常の不満をこん棒に詰め込んで力の限り振り下ろす。まだ、すこし後ろめたさが残るものは銃によって即死させることを選ぶだろう。

強権主義側に立つ国民は、挙って「正義執行者」としての日常を送る。獲物を捕らえ調理する。それこそが最高の樽俎なのだ。

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#日経COMEMO #NIKKEI

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