妄想:新潮流、軍需民主主義・・・?

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「マグニフィセント7」を生み出せない(その他)先進国は、「新軍事経済」の中でハイテクノロジーを進化させていくのかもしれません。

確かに、脅威はある。欧州にすればロシアであろうし、日本や東南アジア諸国にしてみれば中国でしょう。それらの脅威に "備える" 経済が必要ということ。

昔は「戦時国家独占資本主義」などで民需産業を動員し「戦時総動員体制」を敷いていましたが、今は「民主主義」の中で軍産複合体に近い形で「最新科学技術に包まれた軍備」を整える経済を回していくのだろうと思うのです。

「マグニフィセント7」を生み出した個人消費は「論理・心理(シンパシー)」で経済が回ります。物理がその後についてくる。けれども、「脅威に備える」場合は物理の備えが先に必要です。そこが、決定的に違うのです。

昔は物量を備えるだけでなく「論理・心理」でも脅威に備えていました。所謂、「洗脳」に近いプロパガンダを使っていたのです。ですが、今の時代は分裂を生んでしまいます。「賛成」には「反対」で応えられる時代なのです。

そこで、分裂を生まないように「脅威」をどう浸透させるかに腐心することになります。民需産業の協力が必要で、その協力には助成などの対価を用意することになります。税金が民需産業を下支えする経済となります。そうすると、民需は活性化し雇用などを生みやすくなる、その目論見が全体を覆うようになります。

直接対決を避けつつ「軍需の消費」を大訓練で盛大に行う。消費が活発であれば軍需生産の進化を助けることにも繋がります。個人消費にも「脅威への備え」として利用しやすい物量が行き渡るようになるでしょう。

「脅威」に対して「安心」を届ける社会づくりが勢いづきます。その後、「安心」のために「脅威」を必要とする社会へゴロリと反転していく。

経済を回す基本が「脅威」となった社会は、民需を中心とした社会へは容易く戻りません。常にどこかに危険が潜んでいなければならない社会が長く続くことになります。そして「安心」を届けるリーダーが英雄となっていくのでしょう。

「脅威」は大きければ大きいほど英雄も大きくなっていきます。やがて、地球全体の「脅威」を「安心」に変えた英雄は「世界皇帝」への道を歩んでいきます。

だが、その過程で「核兵器」や「人工知能兵器」を多用すれば、英雄自身も生き永らえない。それが分かっていても「脅威」が必要な時代となったのだろうと「いままでになかった不安」が私を覆うのです。

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