見出し画像

言葉の”軽さ”と”重さ”を分けてるもの

この記事を見て、『言う』と『伝える』の大きな違いを改めて知りました。

『言ってるつもり』で相手に自分の意図や意志を本気で『伝える』ことが出
来ていないなら、相手は本当の”理解”をすることはない。

ボストン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者で、教育者でもあるベンジャミン・ザンダー氏の講演でお聞きした彼の体験談です。

ある時、ザンダー氏が著名な演奏家のコンサートチケットを生徒の人数分確保し、このコンサートを聴きに行くことを課題にしました。

ところが、生徒の半分がコンサートに現れず、遊びに行ってしまったのでした。

空いた席を見て、ザンダーは怒りで震えます。

しかし翌日、ザンダーは怒りの気持ちを懸命に封印し、生徒に自分の気持ちを伝えます。

いつものような叱りの言葉ではなく、謝りの言葉で。

「このコンサートが、君たちの今後のキャリアにどれだけ重要なのかということを、わたしは伝えていなかった。すまない」と。

生徒の将来を考えたとき、教育者としてどのような態度をとるのか。

一晩中考え抜いた結果、出てきた言葉だったのです。

「素晴らしい音楽家になってほしい」と願うザンダー氏の「本気」が、 生徒たちに伝わったのでしょうか。

この後、生徒たちがサボることはなくなり、自発的に練習し、学ぶ姿勢が変わったと言います。

『然りの言葉』ではなく、『誤りの言葉』

どうすれば、相手は本当の理解してくれるのか。

時間が経ち『あの時言ってたのはこういうことだったのか・・・』という、後悔になる前にどう相手にいち早く気づいてもらうことができるのだろうか。

子育てをしている親、上司と部下、先生と生徒、コーチと選手、
ありとあらゆる場所で同じ気持ちになったことはあるはずだ。

その瞬間に変わってほしい、わかってほしい、どうしても自分主体で発する言葉だから、相手に伝わらず、怒りとして出てきてしまう。

そうならないために、相手主体で考えてみたらどうだろうか。
そうすることで、まずどうすれば伝わるかを考える。
その時点でもう自分の中での怒りはだんだん薄れていき、
そして冷静に考えて、伝わるように言葉や態度、表情が伴ってくるだろう。

この記事の中で、こんな一文もあった。

言葉は、それを話しているこちらのものではなく、
「受け止めている相手のものだ」という認識が必要です。

あなたの発した言葉を、どうとらえ理解するかは相手の自由なのです。

『理解するかどうかは相手の自由』

よくよく考えてみれば、その通り。

相手にとって自分が発した言葉はただの言葉。

その”ただの言葉”を相手がどう捉えるかで、その言葉の意味は変わる。

『受け止めている相手のもの』と言う認識が自分にあるかないか。

それこそが、”伝える”ための土台になっていくと思う。

この記事が参加している募集

振り返りnote

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?