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病床経過報告⑤自家移植とどら焼き

 入院してから今日でちょうど3ヶ月。入院生活は相変わらず長く続いている。治療のスケジュールとしては、抗がん剤による治療3週間×残り4サイクル+自家移植の2週間で最短でもあと14週間が必要になる。まだ折返し地点にも達していない。正直なところ入院生活にもちょっと飽きてきたなといったところだったが、最近行われた主治医との面談によると、どうやら「自家移植」という手法が必要らしいことが判明した。

 それは正確には「自家増血幹細胞移植」と呼ばれるもので、標準的な治療による治癒の可能性が低い場合に抗がん剤の大量投与前に併用される手法だ。増血幹細胞とは、骨髄に存在し、酸素を各臓器に循環させる赤血球、病原菌から体を守る白血球、出血を止める血小板のもとになる細胞で、成長することで3つの血球それぞれに「分化」し、また造血幹細胞自身も細胞分裂によって「自己複製」していく。骨髄の中のこの2つの機能によって造血が行われる。抗がん剤の投与では悪性の癌細胞のみならず様々な細胞を殺してしまうので、体量投与前に造血幹細胞を取っておいて後で体内に戻す。それによって正常な血液細胞が増加され、病気からの回復を期待するのがこの手法の目的だ。ちなみに、自分の幹細胞を移植する「自家移植」のほかに、他人の細胞移植する「同種移植」があるが、前者を実行する予定になっている。実施の予定はまだ未定だが、恐らくは来月あたりには実行されるだろう。今までよりもリスクの高い治療が予想されるので、それなりに不安ではあるが来るべき時には耐える他はあるまい。

 それは病室の隣にあるラウンジでおやつにどら焼きを食べていた時の事だ。老齢の男性が電話をしており、室内は静かで尚且つ男性の声が大きかったので、ついその話が耳に入ってしまったのだった。血液内科のラウンジなので恐らく、私と同じ病気か白血病か、もしくはそれに近い病気にかかっているのだろうと予想された。どうやら役所なのか会社なのか、どこかと病気の診断書の提出について話しているらしかった。一瞥して点滴もつけておらず、自由に動けており、その溌剌とした発声からは想像もできなかったが、彼によれば現在週単位の寿命であるということだった。病気はもう末期なのだろう。入院中の患者が全員治癒して無事に復帰するということはない。それは考えてみれば当然のことではあったが、受け入れがたい現実であり真実であった。彼は明日の事もわからないから診断書の提出をどうすればよいのかという事を、まるで親しい取引先と話すように明るいトーンで坦々と話していた。憐憫の情を抱くのが正しいかどうかは分からないが、私はこの時とにかく情が動くと共に愕然とした。呑気にどら焼きを食べている私と、極限の状況下に置かれた彼とで見ている地平が違うのは間違いない。坦々としたその様子からは、病気とその先に待つものを拒むのではなく受け入れているように思われた。私にとっては他人事ではなく、再発や他の癌の発生の可能性も今後考えられることから、彼のその姿に将来の私を重ねて見てしまった。一瞬の出来事ではあったが、名前も顔も分からないその老齢の男性を気にかけて、今日も思わずラウンジに足を運んでいる。

 病院食の主食がお粥から白米にアップグレードされたと同時に、食事がほぼ自由になった。カフェインの入ったコーヒーや炭酸飲料は刺激物なので控えるとして、その他生モノ以外は食べられるようになった。揚げ物もOKになったのが嬉しくて、院内のファミマでファミチキを買い食いしてしまった。あらゆるものが美味しく感じられて、減るだけ減った体重が増えてきた。それに伴って体力もついてきて結構元気だ。今後強まる治療に備えて更に体力をつけていきたいところだ。ところで、今後治療の合間に数日間リフレッシュの為に一時帰宅をすることが許された。何事もなくうまくいけば、10月の終わりから11月の初め頃に一時帰宅ができる。その次は12月の頭頃になるだろうか。実家に帰る、家族と一緒に過ごす。それが楽しみで仕方がないが、突発的に体調が可能性も否めない。今は順調に治療が行われる事を願っている。

 


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