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無条件に信用してしまう場所で命が狙われる怖さ


病気やケガや事故なんかで自分ではどうにもできないとき、病院に行って助けてもらう。
自分ではどうすることもできない、どうなっているか分からないからこそ、専門知識がある人に診てもらって治してもらおうとする。
医師や看護師は病気や処置に詳しいからこそ、全部お任せして、言う通りにしていれば必ず良くなると信じている。
仕事だから、というのもあるけれど、前提として人間の善意を信じているし、当てにしている。
それは医師や看護師に限らず、すべての職業で、すべての人に対して、自分にとって良いことをしてくれるはずだと、無意識に信用しているところがある。
だけど、その信用を逆手に取られてしまうと、人は意外と無防備だったりする。

患者を殺害しまくった看護師は、患者を見下していたわけではないかもしれない。
むしろ患者が苦しんでいるところを見るのが辛くて、苦しみから開放するために手を貸してあげた、その程度だったかもしれない。
患者の命を自分の手が握っている、という変な万能感を持ち、優越感を持っている感じは見受けられなかった。
うまく巧妙に隠していただけかもしれないけど、「誰かの役に立ちたい」という気持ちは本音だったんじゃないかと思うのだ。
ただそれが歪んだ形となって現れただけかもしれない。
別に擁護するわけではないけど、まあ人物のイメージがそう感じたというまでのこと。
しかし殺人を犯していることには変わりなく、人の命を守るべき立場の人間がその使命を全うしていないのだから、たとえ同僚だとしてもそれは見過ごすことはできない。
彼の別の面が見えてしまうと、病気で弱っている自分も優しい言葉をかけてもらいながらも、いつか倒れたときに殺されてしまうのではないか、と恐怖がよぎるのは自然なこと。
存在が近ければ近いほど、警戒心は増していく。
彼と別れた奥さんも犬を殺されたと言っていたらしいが、多分殺されたと悟り、こんな危険な人に子供を会わせることなんてできない、となったのだろう。

不可解に死亡患者が増え始めたことを認識した病院も、内部調査で簡単に済まし、怪しい看護師を解雇することで責任を逃れようとする。
自分の病院で問題が発生しなければ問題ない、そんな身勝手な判断が連鎖的に起こったことで、被害患者の数は急増していった。
人間の命を扱う非常にデリケートな機関なので、病院のミスが表沙汰になれば、訴訟問題やらで経営が立ち行かなくなる。
自分の評判に傷をつけたくないし、キャリアも守らなくてはならない。
働く従業員たちを路頭に迷わせるわけにもいかないので、できるだけスキャンダルは避けたい。
となれば、内々で調査して、怪しい人物を追い出してしまえば、その人に対する責任は負わなくていいのでひとまず安心できる。
転職した先の病院で何かあったとき、そこが手を打って処理してくれれば助かる、みたいな思考が働いているんだろうなあ、どこもそういうことばっかりだったから被害者が増えていったんだろう。

「分かっていながら誰も止めようとしなかったから殺し続けた。」
彼は止めてほしかったんだろうか。
見てみぬふりを決め込んだ病院へのあてつけのようにも思える。
母親が病院で亡くなったのに誰も何もしようとせずただ放置されていた。
病院は患者に対してこんなにも冷たいんだ、ということを見せしめにしたかったのかもしれない。
それで注意を受ければ、この病院はちゃんと患者のことを診ているんだな、と改心するキッカケになったかもしれない。
それは分からないが、何かしら病院に対する不満が彼の中に根付いていたのだろう。

こういう映画を観ると、すべてをゆだねる病院が恐ろしくなってくる。
自分でどうなっているかわからない、把握できないことへの潜在的な恐怖が掻き立てられますね。

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