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読書感想文~『勇気凜凜ルリの色 福音について』より 「アンファン・テリブルについて」


またまた、浅田次郎氏の登場です。
かつて書いたように、私が浅田氏の作品にハマったのは実はエッセイ(『勇気凜凜ルリの色』シリーズ)から。
しばらく押入れの中にしまわれていたのですが、最近千世さんの「浅田作品の数々」の読書感想文を拝読するうちに、自分でも浅田氏のエッセイを再読したくなり、文庫を引っ張り出してきました。
もう30年近く前の作品で当時は「週刊現代」に連載されていたとのこと。そのためか、結構時事ネタも数多く含まれていて(当時の私は高校生~大学生)、見覚えのある
時事ネタもちらほらあるのです。
これくらいの年だと、ある程度大きな事件は記憶に残っていますしね。

アンファン・テリブルの定義


その中で、現代の世相を予兆させるようなエッセイの一つが、「アンファン・テリブルについて」の小話でした。
奥付を見ると、「福音について(第3巻)」は「1996年10月19日号」からほぼ一年間分の連載分。本当にこの頃は衝撃的な事件がいくつも続いた頃で、オウム真理教の一連のテロ事件関係者の逮捕(松本サリン事件、東京地下鉄サリン事件、新宿VXガス事件など)や、「14歳の少年の猟奇的殺人」(酒鬼薔薇聖斗殺人事件)などについて繰り返し触れられています。
浅田氏は、「アンファン・テリブル」の定義について、「早熟かつ非凡で突出的な行動をとり、社会に脅威を感じさせる子供」と説明されています
この事件は14歳の少年が顔見知りだった小学生の児童を殺害し、学校の校門に切断した頭部を晒した、というショッキングな事件でした。私もおぼろげながらこの事件を記憶しているのですが、その後この少年Aは少年法の関係で死刑にはならず、出所後、手記を出版していたはずです。到底読む気にはなりませんでしたが。

ただ、浅田氏も書いておられるように、この年頃の青少年って、どういうわけか残虐的なものや破壊的行為に憧れるのですよね。それは、かつて私も教育業に携わってきてこの手の話し合いを子供たちとしてきましたから、ある程度理解できます。「暗い欲望」を抱えたたまま、「欲望と現実のハードルをわずかに超えてしまっただけなのではないか」というのが、浅田氏の見解。

ここでいう「ハードル」とは、「倫理」、すなわち人として守らなければならない掟のこと。
「ハードルは少年が自ら置くものではなく、社会が置く。」
私がわざわざ誹謗中傷を取り上げるのも、同じ道徳観に基づきます。そして、この作品の中で浅田氏が取り上げたのが、少年逮捕の場面を伝えるニュースにおいて、警察署をバックにリポートを続ける報道関係者の背後で、はしゃぎ回っていた子どもたち(容疑者と同年代)を、誰も咎めなかったという場面です。
「テレビに映ることの快楽またはその欲望のため」に、彼らははしゃいではならない場面ではしゃいだ、と浅田氏は厳しく断じられております。そして、そのような子供たちが大人になったときに、次世代に倫理を語ることはできない、とも。

アンファン・テリブルの成長


年代的には、私はこの「少年A」よりもやや年長(6歳ほど上)の世代なのですが、確かにネットで「言論の自由」と「誹謗中傷」の区別をつけられない人というのは、割と私より下の世代に集中している印象はあります。世代的には、浅田が危惧を表明した頃に誕生した子供たちでしょうか。
もっとも、私よりも上の年代の方でも誹謗中傷を繰り返している例はあるので、一概に論じることはできませんが……。

強いて考察を重ねるのならば、「ネット」の普遍化により現代の方が「自分に都合の良い意見」を集めやすい環境にあるため、余計に倫理観が育ちにくい環境にあるのかもしれません。
どの媒体においても、ほぼ間違いなく「ターゲティング設定」を行っているはずすしね。

※余計なお世話かもしれませんが、「自分の弱さ」をやたらネット上で訴える人などは、新興宗教など「洗脳が得意」な人の格好のカモになります。もしもそうなったとしても、きっとその洗脳を解くのは至難の業でしょう。

倫理の欠如したオトナたち


やはり、多感な時期に「倫理」を徹底的に叩き込まれるというのは大切で、好き勝手に言いたい放題、やりたい放題という「自称大人」は、倫理を教えてもらう機会に恵まれたなかったが、自ら何らかの理由をつけて拒んできた人々なのではないでしょうか。
ひょっとしたら、あの頃の各種テロ事件や猟奇的殺人の数々を「教科書などでしか知らず」実感を持たない人々が、一方的に「身勝手な理論」を振り回しているのではないか。そんな風にさえ感じます。

「アンファン・テリブル」のまま大人になり、大勢の注目を浴びる欲望に酔いしれたオトナになった人が、自分の幼稚な動機のために大勢の人を扇動しようとしているのならば、これは恐ろしい。

浅田氏の作品には出てきませんが、丁度同じ頃、地元で「女性祈祷師殺人事件」というのもありました。
これも、そのうち小説にしようか迷っている題材ですが(結構エグいので迷いがあります)、その動機は「女性祈祷師が自分のカリスマ性を武器に信者を集め、嫉妬心から女性信徒を殺害した」というものです。
確か犯人のE氏は既に死刑が執行されていたはずですが、どうも最近、ネット上で好き勝手述べている人々の「言い分」と、このE氏の姿が重なって仕方がありません。
最終的にこの手の人間は「殺人罪」などで逮捕されるまでいかないと、身勝手さに気づかないものなのでしょうか……。
ですが、少年Aのように「反省しない」まま大人になり、その手記や顔写真を嬉々としてばらまきたがる人もいるわけで、なんだかなあ……と思うわけです。


それにしても、浅田氏の慧眼はさすがです。まさか30年近くも経って、あの頃の浅田氏の危惧が自分の身近で現実になるとは、思いもよりませんでした。
やはり、30年経っても色褪せない名作の一つです。

※ここまでは、後日noteに掲載しようと思って別に下書きしてあったものです。
ですが、タイムリーというべきか。私が日頃親しくしていただいている「千世さん」&「著作権協会さま」が素晴らしい投稿をされていたので、僭越ながらご紹介させていただきます。
ホントに両者の投稿とも、この浅田氏の慧眼をそのまま具現化されたようなお話です。

もちろん、私もお二方の意見に全面的に同意します!

自分がやった「後ろ暗い行為」の数々に対して、なぜ被害者側が「親切」に対応しなければならないんですかね?
多くの方が「自分は巻き込まれたくない」と我慢してきて、それで相手を増長させてきた結果、「誹謗中傷」が平然と蔓延るnoteになったのではないでしょうか?


©k.maru027.2023

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