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クローンとアバターと自由

”世界の教養”4日目。
ドリーが誕生したのは今から26年前。私は科学の専門家でないのでわからないけれど、クローンの世界はかなり進歩して、臓器など現実に使われているのではなかったか。

他方で分身ロボットとか、仮想空間でのアバターとか、いろんな分野で代わりになるものが生まれている。そして、動いている。

基本的人権として「自由」、人身の自由、移動の自由などがあるけれど、人は自分の分身を得たとき、とくに動けない人にとっては、分身が動くときは、自由を得た気持ちが強まるのかもしれない。
では、分身の動きが止められたら、分身が壊されたら、どんな気持ちになるのだろう。
あるいは、自分の自由が奪われても、代わりに分身が得られたら、自由を制約されたという重さは半減するのだろうか。

ドリーは、母とは別人格(別羊格)のヒツジだっただろうから、母とは独立して自由を感じていたに違いない。
アバターやロボットも、技術が進化すれば、AIの力で独自に進化して、操作側の意図を無視して動き出すこともできるようになるのかもしれない。
そしたら、操作側の人間は自由を感じなくなるのだろうか。

私(52歳)は30代、20代、あるいは10代の人たちと、感覚が違うことを感じる時がある。
私は自分の生身の身体しか信じられない。
でも、これからの人たちは、別の感情移入ができるようになるのかもしれない。
一度得た自由、でも自分から離れていく自由、そのとき、自由を奪われた気になるのだろうか。
自由とは、なんなんだろうか。


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