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#8 なぜ教育なの?③

僕は、ようやく、目指すべきところが見えた。
努力する理由。挑戦する理由が見つかった。

この時、僕はハッと気づかされた。
今まで、やりたい事がない、自分の人生どうありたいかが分からない。って思い続けてきた。

でも、本当は、やりたい事がなかったわけでも、自分の人生どうありたいかが、分からなかったわけでもなかったんだと。

ただ、自分の人生どうありたいかを、考えることを今までしてこなかっただけなのだ。

もし、今同じように、どこに進めばいいかわからないっていう人がいたら、僕は、まずこう伝えたいなと思う!

[あなたは1日15分、自分の人生について考えていますか?]

15分は、1日24時間あるなかの、1%だ。
つまり、人は、何も考えず、ただ毎日を過ごしていると、1%も、自分の人生について考えていないことになる。

当然、その人の人生がどうなるかは想像できるだろう。ありとあらゆる、後悔をもって生きることになる。死ぬ事になる。

だから、僕は、一層、学びを加速させた。
お陰で、沢山の知識がついた。
そして、段々と世の中が分かってきた。

すると、[子供の教育をやりたい]から、[日本の教育を変える]という決意に変わった。

なぜなら、今の日本の教育の問題点が、山のように見えてきたからだ。
このままじゃ、子供たちの笑顔が見れなくなるんじゃないかって思った。
将来、苦しむ子達が増えるんじゃないかって。

僕は、学生時代に関わってきた子達が、これから先も、笑顔でい続けて欲しい。その子達の未来が明るいものであり続けて欲しい。そして、これから出会う人たちの未来が明るくあり続けて欲しい。いや、そうでなければ、ならない。

教育の問題点は、たくさんあると思う。
書き出すとキリがなくなるので、全部は書けない。

だから、今回は、僕の人生を振り返って、そこからたどり着いた、一部を書こうと思う。

僕は、学生時代、やりたい事も無ければ、目指すべき先もなかった。

その原因は二つあると思う。
①自分の人生のゴールを描くことの大切さを知らなかった。
②選択肢がなかった。

ほとんどの、学校では、受験のための勉強しか教えない。大学(高校)に進学することをゴールに指導する。

しかし、なぜ大学(高校)に行くのか、なぜ勉強をするのかという、[なぜ?]を、自分自身で考えさせない。

僕も、大人(先生)に聞いたことがある。
なぜ、勉強ってしないといけないの?って。

返ってくる答えは、ほとんど、同じだ。
将来のため。将来の選択肢を広げるため。

ずっと、疑問だった。
たしかに、将来のためや、将来の選択肢を広げるためっていうのは、一理あるとは思う。

でも、僕は、学校で学ぶものに、選択肢が広がるとは思えなかった。
だって、古文や、漢文を学んでどうなるの?
数学のsin、cos学んでどうなるの?

選択肢が広がるの?ずっと不思議だった。

机に座って、カリカリ勉強して、それは一体何に繋がるの?

そんな疑問ばかり。みんなそういうから、そーなのかな?って思いながら、漠然と勉強し続けた。(結局そこからは、何も生まれなかった。)

その答えは、実際に、僕が社会に出て、初めて知ることになった。学校で学んだことのほとんどは、役立たないということ。

使う機会なんてないし、なんなら、あの時学んだことは、ドンドン忘れていく。
記憶にすら残らなくなっていく。

つまり、学校で学ぶ事は、社会に直結していないのだ。

これって、ほんとうに選択肢が広がったと言えるのか?

僕は、言えないと思う。
たしかに、勉強を一心不乱で頑張った、努力した経験は、今に活きてると思う。ただ、それが、勉強(受験に向けての勉強)である必要はないと思った。

別に、その経験はスポーツでもいいだろうし、なんなら、自分の好きなことを突き詰めてもいいだろう。

ゲームが好きだから、ゲームを極めたっていう経験だって、同じこと。

学問である必要性は全く感じない。
でも、学校で学ぶことの9割は社会に関係ない学問だ。

僕は、人生に置いて本当に大切なのは、[なぜ]を考えることだと思う。
なぜ学校に行くのか、なぜ勉強をするのか、なぜ就職をするのか...。

その答えは、[将来の選択肢を広げるため]で終わるのもではない。

その子自身が、生きていく中で、常に自分と向き合い、考え続けるしかない。自分で、答えを見つける必要があるのだ。

大人が答えを持っているわけでも、親が答えを持ってるわけでもなくて、自分が考え、答えを導きだすものだって子ども自身が気づくこと。

ここが、最も大切なのだ。
そのために、大人が出来ることは、ヒントを与え続けてあげることだけである。

だからこそ、大人(先生)は、自分の人生どうありたいかを、思い描き続けることの大切さを、自分自身が身をもって、思い描き、行動し、子供たちに見せ続けることなのだと思った。

一人一人違う。
僕は、別に、その子の、人生のゴールが決まってて、そのために、学校が必要なくて、勉強が必要ないのなら、行かなくても、やらなくてもいいと思う。

みんなやっているから、みんながこうだから、常識的にこうだから、は全く意味がない。

自分がどうしたいか。それが全てだ。

僕の二つ目の原因の、選択肢がなかった。というところにも繋がることだが、

僕が、社会に出て、まず感じたのは、自分の無知に対する驚愕だった。

学校に真面目に行き、真面目に勉強もした。
でも、世の中の事は何も知らなかった。

教えてもらえなかった。(これが、学校が社会に直結していないと思った、理由の一つでもある。)

なぜなら、僕の周りにいた大人たちは、何も挑戦してない人だらけだったから。

ただ、毎日を平凡に、日々同じことを繰り返してる人しかいない。

親も、学校の先生も、みんな何にも挑んでいない。だから、その人たちが見ている世界は、非常に小さい。

先生は、学校の先生になる選択肢しか知らないし、親は、サラリーマンになることしか選択肢を持っていない。

関わる大人が、そうであれば、子供はもっともっと小さい世界で生きることになる。

だから、僕は、教育を通じて、子供たちに、色んな世界を見せてあげたいなって思う。
そして、経験させてあげたいなって思う。

学校は、別に学問を教える場所ではない。
子供たちに、選択肢をたくさん持たせる場所だ。これから先、何が起ころうとも、自分で生き抜く力を養う場所。
夢の叶え方を教えてあげる場所だ。

そんな学校を、僕はこれから先、絶対に作ろうと思っている。
だから、僕の目指すゴールは、日本の教育を変えるために、学校を作ることだ。

日本だけじゃなく、世界ってこんなに広いんだなって。

世の中には、色んな働き方があって、色んな仕事がある。

自分のやりたい事だって、なんでも出来る。

豊かな人生を送ることができる。

だって、誰しも、初めは何者でもない。自分が何者かになろうと決めて、行動するから、何者かになれるんだ。

だから、僕は、子供たちの教育に関わる中で、常に、自分が誰よりも挑戦し、[僕自身が自分の夢を叶え続けている]そんな姿を、子供たちに見せ続ける。

そして、そんな、何かに挑戦している大人を、一人でも多くする。それが、僕が目指す、子どもの教育でもあり、大人の教育なのだ。

完結。

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