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Twitterを愛するすべてのあなた(とじぶん)へ

自分らしく生きること、をメッセージとして発し続け、
勇気を与えてきた、先駆者が死んだ。
その人を例に出し、
自分らしく生きようとメッセージを発してきた大人たち(≒自分たち)が、
その言葉の白々しさに今、気づいている。

「自分らしく生きよう」「すべての批判なんか気にするな」
(その批判がたとえお前の存在を全否定するような無礼なものであっても、お前は耐えるべきだ)
「自分の選択に責任を持て」
(お前がした選択でどんなに苦労をしようとしても、社会を責めるべきではない)

誰かの「自分らしさ」が、自分の信じるルールから逸脱するとき、
「自分らしさ」は「自分勝手」として読み替えられ、批判される。

「子どもがいるのに、性別移行をするなんて」
(子どもがいる男性は、男らしい「父親」として子どものもとに存在するべきだ)
「離婚して、新しい家族の形って結局、『男』が好き勝手にしているだけでしょ。女性がかわいそう」
(子どもがいるなら、(男性/女性の異性愛カップルを前提とした)婚姻制度の中で暮らしていくべきだ)

家族を放棄するなんて、一言も言っていなかったのに。
現に、そうしていなかったのに。

本人の言葉が、本人の与り知らぬところで、
名前すら名乗ることができない誰かに、勝手に解釈され、拡散されていく。

「説明が足りないんじゃない。もっと伝わることばで言ってほしかったよ」

説明をしたところで、どうせ自分の信じたい回答でなければ、
無視をするか、さらに勝手な解釈を付け加えるだけだろう。

「傷つけるつもりはなかった」
(名前の知らない私の発言なんて、別に聞くほどのものでもなかったのに)

何を言っているんだろうか。
確かに人を傷つけたのだという自覚を持つべきだ。
名前も知らない誰かとして、
自分のことを語らずに、人の批判ばかりしてきた、お前に言っている。
自分の言葉で語らずに、
誰かの言葉をコピーして、連ねていくことしかしてこなかったお前にだ。

当事者は、嫌というほど語ってきた。
当事者の周囲の支援者や家族たちも、その声を広めるために注力してきた。
地道に。お前たちが言葉を持つ前から、何世代にもわたって。

次は、お前が、140字以上で、
形を成した一人の人間として、コンテクストをもって、語るべき番なのだ。

そして、お前も、批判されるべきなのだ。
それができないなら、インターネット上から消えてしまえばよい。

この世の中のTwitterを愛するすべてのあなたとじぶん(害悪な存在)へ

雑地区好餌
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