vol.148 永井荷風「濹東綺譚」を読んで
タイトルの濹東綺譚、「隅田川東岸の物語」という意味らしい。(再読=vol63)。
東京にあった私娼(無許可の闇営業的な娼婦)の街、玉の井(現東京都墨田区)を舞台として描かれた随筆的な小説。
昭和11年、日華事変勃発直前の重苦しい世相の中で、娼婦との交情を題材とした荷風の代表作。「日本はアメリカの個人尊重もフランスの伝統尊重もない」と考えていた荷風だ。きっとこの作品にも、江戸の下町情緒を残す文化を無視した全体主義に突き進む状況に対する批判や風刺があったに違いない。
しかし、それよりもこの作品の魅力は、売春防止法施行前の風俗と、玉の井という土地柄と、放蕩を繰り返す荷風の息づかいが伝わるところに興味がいく。
物語は、玉の井で出会った娼婦雪子と、老小説家大江匡の男女の交わりと離別が儚く描かれてる。展開は淡々としている。小説の中でもう一つの小説『失踪』の草案も描かれている。まさに、この老小説家大江は荷風自身なのだ。
そんな中で印象深いのが、大江と、娼婦雪子が初めて出会うシーン。
相合傘に恐縮する大江は、「おれは洋服だからかまわない。」と、女に傘を差し出す。するとその女は「じゃ、よくって。すぐ、そこ。」と傘の柄につかまり、片手に浴衣の裾を思うさままくり上げた。
その時、
なんだかわざとらしいが、当時はそれが粋な所作かもしれない。描写も自然な流れの中で二人は出会う。
この出会いのシーン、5年前の初読からずっと頭に残っている。
今こんな出会いは、とてもないだろう。娼婦らしき人が、いきなり人の傘に入ってきて、手をとって、「私の家、すぐそこだから、寄ってらっしゃい、お礼がしたいから」って、怪しい、あぶない、いかがわしい。犯罪のにおいがする。
しかし、ネットのない時代、人が重なり合って生活していたこの時代、他人との関係がずっと身近でウェットで情味深い時代、荷風のように浮世離れした生き方が許された時代、僕はこれらをどこか切り捨てられない感情がある。人と人が蜜になるめんどくささはあるけど。
そんな出会いのシーンから、まもなく没65年を迎える永井荷風が描いた世界を改めて思い巡らせた。
おわり
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