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vol.127 マーク・トウェーン「王子と乞食」を読んで(村岡花子訳)

ひょんなことから、王子になった乞食のトムと、乞食になった王子のエドワード。このふたり、両極端な生活を経験することで、それぞれの重荷を理解し、同情し、慈悲の心を深めていく。この児童文学の学びは、そんなところにあるのかもしれない。他方、生き方を選べない絶対君主制を痛烈に風刺し、ユーモアたっぷりに描かれているところにこの作品の魅力を感じた。そして、今当たり前のようにある貴重な『自由』を考えた。(「乞食」の用語はタイトル引用で、あえて使用させていただきました)

内容

16世紀中ごろ、君主制を背景にしたイギリス階級社会での出来事。

ロンドンに住むカンティという貧しい家に、男の子がひとり生まれた。それと同じ日に、待ちに待たれた男の子が宮殿でうぶ声をあげた。貧しい家に生まれたトム・カンティと、チュードル宮殿の王子エドワード(後の英国王エドワード6世)は、瓜二つの面持ちだった。十数年たったある日、互いに着ている服を取り替えたことで、身分が入れ替わってしまう。それ以降、ふたりにはさまざまな苦難と冒険が繰り広げられていく。(内容おわり)

僕の興味は、ずっと昔に教科書で触れた絶対君主制のむごさに向かう。この時代に、想像の翼を駆け巡らせる。

王様の条件は血統以外何もいらなかった。きれいに着飾り外見がそっくりだったらそれでよかった。王様が誰であっても、その役割は十分に果たせた。品位は周りが作り上げた幻想だった。

庶民の暮らしは悲惨だった。残虐な国法を前に、命はあやふやだった。王様にしがみつく貴族たちの蛮行が蔓延はびこっていた。生き延びるためにはひたすら神に祈るしかなかった。

トムとエドワードはそんな時代に生きていた。

実際に、ヨーロッパの絶対君主制は、宗教をからめながら似たような状況を作っていたことを近代史から学んだ。今当たり前にある『自由』は、過去に大きな代償を払って得たものであることも改めて思った。

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日本社会においても、現代はみんなで、自由で公正な社会を築き、支え合うことを目指しているはずだ。

今僕は、当たり前のように国民主権をかかげた社会で暮らしている。何も選べない過酷で野蛮な絶対君主制の時代には、とても生きられない。「いかなる人間も自分自身の掟に従って自由に生きたいと思う」という17世紀のドイツ詩人シラーの言葉もある。

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だけど、今でもそいうじゃない世界があることも伝わる・・・。

世界はまだまだその『自由』を得るための代償を払い続けていることになんとも心が痛い。

マーク・トウェーンの150年前の創作は、慈悲深さを示した小説かもしれないが、僕にはなぜか『自由』の重みを感じさる作品だった。

おわり

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