好きに理由なんかいらない。
「好きに理由」はいるのか?
理由なんて後からつけるものだと思っている。
これこれしかじかと言うわけで…。
と言う根拠やその拠り所のことを「理由」というからだ。
つまり、感じたことを考えたり思い出したりして、この「理由」を言葉にするのは、正確には「好きだった(になった)理由」なのかもしれない。
<頼りになったから好き→頼りになることがあったとか、信頼できたからとか。>
また、理由的なことが先にあって、その結果「好き」になる事もあるけれど、それは「◯◯が良い」という条件を抽出して、コレに合致したからの結果に過ぎない。つまりは「好き(になるため)の条件」で「好きな理由」とは違う、強いて言うなら「その条件」が好きなんじゃないかと思ったりする。<優しい人が好き→その優しさが好きなので、優しいのが条件>
問題なのは、今なぜ?「好き」なのか?ということ。
現在進行形の、今まさに「好き」なのは、先の二つともがめでたく成就しているか、そのどちらかを満たした場合だからなのか?
条件づけや理由づけが、「好き」な状態を作ってくれているなら、それも理由にしても良いのかも知れない。<ほんまでっか?それだけでっか?>
不可解なのはそれらのどれにも当てはまらない場合だ。
条件にも当てはまらないし、実績もない。なんなら、全然好みのタイプでもないし、性格も好きではないのに「好き」だというケース。
意味なく好きだとか。何故好きなのか?訳が分からない時。
皆さんも経験あると思いますが、どう折り合いをつけるかって事です。
これが「好き」の正体なんだと思います。
つまりは、理由がないことを既に知っているという状態です。
無いのです根拠も拠り所もw
あるのは、「好きだ」って事だけ。
これは、やっかいですよね。
普通なら因果関係や、ああすればこうなる的な論理的な解釈が成り立つはずなのに違うのです。思い当たる節も取り付く島も無いし答えもない。
それもそのはず「好き」は感情だからです。
感情に理由はないですね。あるのはただそう感じたからで理屈ではない。
だからそう信じるしかない。そうなんだから仕方が無いw
厄介なのは、他者にコレを知らせることが実に困難だということです。
自分の感情には、自分が向き合って素直に認めれば良いだけですが、外へ伝えたり、外と交歓するときに言葉にしないといけないからです。全くの他人にそんな感情を伝える必要はないけれども、「好き」な相手には伝えたいし、問われると答えたい。
それがすべての元凶でしょう。だから悩んだりするんでしょうね。
才能やセンスがあれば、詩や唄にして、感情を表現することが出来るかも知れませんが、どれも持ち合わせていないものが、拙い言葉を使えば使うほど、先の二つのジレンマに陥ってしまう。止せば良いのに下手な作り話をして墓穴を掘ってしまう。
だから、「好きに理由なんてない」で良いんじゃないですか?
みんな本当は知っているんですよね。そんなもんだと言う事をね。
悶々と一人で抱え込んだり、相手のことを想って悩んだりして苦し紛れにやっちまってるわけですよね。
でも、陳腐な言葉にするくらいなら「理由なんてない」といってしまったほうがすっきりするしw
ただ「好きなもんは好きだ」ってね。
そこにあるのは「好き」だけなんだってね。
「言葉にできない」って言う方がきれいで良いのは知っているけれども
なぜ「好き」かって言われても、「好き」としか言いようがない。
「理由」はない。
「好き」なもんは「好き」なんです。大好きですってwww
それで良くないかと。オイラは思うw
PS:やっぱりこのカテは難しいっすね。[#たぶん駄文]
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