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コロナで身に染みたぺっらぺらの絆。

私は19/20年の大学院コースに在籍していたので、コロナをスコットランドの片田舎で経験している。

感染こそしていないものの、3月初旬から恐るべき速さで変わりゆく国の流れに翻弄され、それはもう全く想像出来なかったストレス下に晒されることとなった。
これは体験しないと分からないことで、体験せずに済むならしない人生の方が絶対にイイ。

帰国を決めた時、本気で国(日本)に殺されると感じた経験も、知らぬが仏だと心底思う。

ただ、結果的に何事もなく帰国を果たしたラッキーな今だから言えるのは、経験出来たことは絶対私の人生の糧になったということ。
そんなこと言いたくなくなる様な未来が待ってるかもしれないけど。




思いっきり余談だが、実際の症状を伝えると現時点で100%の確率でドン引きされている程に崩壊しかかっていたメンタルをギリギリのところで止めれたのは、他でもないThe Alfeeのおかげなのだが、それを語り出すと留まるところを知らないのでやめておく。
もしファンの方がこれを読まれたのであれば是非お友達になりましょう(笑)




さて、ここまで読んだ方はいくら「コロナ鬱」という言葉が日常的になったとはいえ何をそこまでボロボロになってんだと思われるかもしれない。
実際、本気で私の状況を理解してくれた日本人は今のところいない。

色々要因はあるんだけど、ほぼ全ての要因は私にだけ降りかかったものではなく、全ての人に平等にやってきたものだった。

唯一つを除いては。




私には家族がいる。
両親と弟の4人家族だ。
いたって普通の家族構成。
ただ、致命的に関係性が上っ面。




諸外国の人々は、日本人からすると本当に唖然とするくらいに
I love my family.
であり、どんな時もDadとMumは欠かせない(人がたくさんいる)。

かつて語学学校の授業中「もし無人島に行くとしたら何を持っていく?」という質問に対して堂々と10代の子達が「Family photo」って答えていて真底びっくりした。

Family photoじゃお腹はいっぱいにならんけどな。

そんなことが当たり前の諸外国の人々にとってこの未曾有の事態の最中に
My family doesn't support me.
と答える私を見て「こいつやべぇっ!ぶっ壊れる!」と大そう焦った大学のスタッフや友人は1人や2人ではなかった。




私のメンタルを最終的にボッコボコにしたもの、それは

全く心配する気配を見せない家族の姿だった。




心理学勉強したんです風に言うと、恐らく私の両親と弟には
正常性バイアス
がかかるんだと思う。

正常性バイアス(normalcy bias)とは、主に危機的な状況において取り上げられるバイアスであり、危機的な状況において回避行動をとらないことにつながる様々な認知現象を引き起こすと言われている。くだけた言い方をすれば、「自分は大丈夫である」と思ってしまうバイアスである。
(中略)
したがって、実際の危機に対処するよりも主観的なストレスを低減することのほうが人間にとって重要であることが多い。こうした適応上の理由から、本来回避すべき危機に面した状況においてすら、人は危機を知らせる情報を無視したり、情報の信憑性を過小評価したりする。
(小浜駿 (2019),Uターン促進の障害となる認知バイアス Cognitive bias preventing Tokyo residents from returning their hometown,  宇都宮共和大学 都市経済研究年報, 79-87)




私はこれまでの30年以上の人生でたくさんたくさん親に期待してきた。
家族と言えども他人であり、他人への期待程無意味と化すものはないと気付くのに30年くらいかかった。
つまり、30年くらい「裏切られた」という感情が常に私の中に渦巻いていた。

さすがに今は期待という行為そのものが至極自分勝手なものであり、且非常に人間的なものでもあると理解しているし、もうそろそろ相手見ようよねって思っている。




それでも、コロナにまみれた世界で独り奮闘していた私は、またやらかしたのだ。
流石に家族は心配して居ても立っても居られないことになっているだろうと。
もういいから帰ってきなさい!とかって言われるだろうと。




でも、そんな私の欲しい言葉をくれたのは、見るに見かねた友人達だった。
あんたの親は娘を見殺しにすんのかっ!と友人(看護師)が吠えた。
私に吠えられても困るけどね(笑)
中にはずっとお世話になっている70代のご夫婦(関西在住)が「もう羽田まで俺が車で迎えにいく!」と叫び、丁重にお断りするのに苦労した。
そんな友人達がいることは本当に幸せなことだし、そんなことを言ってもらえる関係性を築くことが出来てきた自分に自信を持っていいと思う。

でも、何かが足りなかった。




先日、弟が体調を崩した。
微熱があると言い出し、彼の職種を考えると感染してても全く不思議はなかった。
1人暮らしをしているけど、両親の年齢を考慮すると帰ってこいとは言えない。
でも、ご飯作ってやらないと大変やろうし…むむむ…とか思ったんだけど、やっぱり両親は何事もない様なそぶりを見せた。




ただ、これで救われたことがあった。

あぁ、私にだけ興味がないとかじゃないんだ。
彼らは誰に対してもこうなんだ。
そしてその姿に疑問を抱かない弟もまた、同じなんだろう。




正常性バイアスを生み出す要因が何なのか、私には分からないし、分かりたくもない。
でも、正常性バイアスをかけることで彼らの中で何かが守られているんだろう。
きっとそれは、彼らにとってはとっても大切なもの。

でも、それが何なのか、そんなもん知ったこっちゃないし、それでこっちはショック受けてんすよって話だ。

でも、それでも、正常性バイアスかもしれないと分かった時、少し気が楽になったことを考えれば、それは必要な気付きだったわけだ。




コロナはたくさんのものを奪っていると同時に、たくさんのことを教えてくれている。
何も考えないまま今を過ごしちゃいけない気がする。
感染対策以外で、仕事も生活も特に大きな変化がない人はとても幸せだけど、だからといって何となく今を過ごしちゃいけない気がする。
 



Social distancing


この言葉のせいで人と人の関係性がどんどんバーチャルになっている。
だからこそ
そんな今だからこそ
相手の状況も気持ちもそっちのけで伝えたいことを伝えなきゃ。
もう、相手のこと構ってらんないくらいの勢いで自分の気持ちぶつけなきゃ。

でないと、ただでさえ薄っぺらくなっていく関係性が本当に紙切れ同然になっちゃうよ。

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