娘19&16 今、思うこと

長女19歳 次女16歳

我が家の娘たちが生まれたころ、「早期療育」という言葉は、今ほど聞かなかった。

長女はPTとOT、次女はOTを受けてはいたものの、週に1度、40分程度。それも、支援学校に小学部から入学した娘たちは、入学と同時に打ち切り。「あとは学校でしてもらってね」ということ。

未就学児の通園施設もできたばかりの頃だった。我が家の娘たちは色々と都合もあってそこには通わなかった。

そもそも、「自閉症の診断は、3歳ころにならないとできない」という認識だったように思う。長女は自閉の診断は出ていない。次女は自閉症だが、初めて受診したのが3歳半、OTは4歳過ぎてから、診断が出たのは、5歳になってから。

娘たちが生まれたころ、まだ今のように「ネット」は一般的ではなかった。情報が少なかった。手に入れる術もわからなかったし、実際、なかった。今は、情報が大量に、そして簡単に手に入るが、アヤシイ情報も多い。そのあたりの見極めも必要。

かなり珍しい障害を持つ長女に関しては、本当に情報がなかった。専門のドクターですら「わからない」というくらいだった。「『わからないんだ』ということだけがわかった」状態。3歳くらいまでは必死だった。少し落ち着いたころ、ずっと見てくれていた保健師さんに「ちょっと余裕が出てきたかな」といわれ、自分では気づかなかったけど、いっぱいいっぱいだったんだな、と思ったものだ。

重度知的障害があり、身体発育も遅かった長女。次女も発育・発達はゆっくりだった。が、1ヶ月早く生まれて、小さかったものの、身体発育は何とか「正常値」に納まっていた。だから、言葉が遅くても、そんなに気にしていなかった。長女に比べたら「正常」に見えていたから。でも、3歳過ぎても3歳半になってもしゃべらない。これはさすがにちょっと、と思ったのがそのころ。今、小さいお子さんを育てている親御さんたちからすれば、「遅すぎ」「のんびりしすぎ」だろう。

今、「早期療育」と言われるが、それがいいのかよくないのか、色々意見もあるところ。ただ、今、成長した娘たちをみて、感じること。

あくまで、これは「私の考え」である。一般的な考えではないだろう、ということをはじめにお断りしておく。

幼児のころから、そして、学校に入ってからは学校での指導の一環として療育を受けてきた我が家の娘たち、年々、ゆっくりではあっても、少しずつではあっても、できることは増えてきている。ただ、それが「療育」の成果なのか、それとも本人の身体的精神的「成長」に伴うものなのか、は見極めは難しい。「療育」というものを受けてなくても今と同じように成長していたのかもしれない。

自閉症など「発達障害」は先天的な脳の機能障害といわれている。とすれば、「療育」を受けたからと言って「治る」ものではないだろう。将来的には医学で治る時代も来るかもしれないが。

では、療育って何なのか。ひと昔と違って、情報が氾濫している時代になり、娘も大人に近づいてきて思うこと。

「療育」で、色々なことをやってきた。やらせてもらった。できること、できないこと、色々あった。その中で、本人が好きなこと、得意なこと、そして、嫌いなこと、苦手なことを「知る」。そして、好きなこと、得意なことは、どうやって伸ばしていったらいいのかを「考える」。嫌いなこと、苦手なことは、無理にやらせても逆効果。どうやったら、嫌がらずにできるのか、苦手意識を持たずにできるのか、さまざまな手立てを「試して」みる。その中から、「本人に合ったものを探していく」。

本人が幼少のころは、家族や療法士はじめ支援者が「知り」「考えて」いくのであろうが、(本人の実態に応じてではあるが)成長し学齢期を終え、社会に出ていくような年齢になれば、自分の得意な部分、苦手な部分を自分で把握して、苦手なことに対してはその対処法を自分で「知って」「対処できる」というのは非常に大きな意味を持つ。「これは得意」「これは苦手だが、こうしてもらえればできる」ということがはっきり具体的に伝えることができれば、いわゆる「合理的配慮」もしてもらいやすい。

幼少期から学齢期までの療育は、つまりはそういった様々な「データ」を積み重ねる時期なのではないかな、と、思う。どうしても「できるかできないか」だけに目が行ってしまう。「できないこと」「困った言動」にだけ目が行きがちで、本人を何とかしよう、と考えがちだけども、それよりも、環境を整え、手立てをくりだすこと、そちらに重点を置いた方がいい。

娘たちが小さいころに、療育は「特性を見極め手立てを考える場」と割り切ることができていたら、私もずいぶん楽だったろうな、と今だから思う。

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