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産まれた瞬間捨てられた僕。

【特別養子縁組】
児童福祉のための養子縁組の制度で、様々な事情で育てられない子供が家庭で養育を受けられるようにすることを目的に設けられた。民法の第四編第三章第二節第五款、第817条の2から第817条の11に規定されている。wikipediaより引用


ぼくは本当に幸運だ。

東京一の繁華街。『トー横キッズ』の集会場『トー横』がまだ新宿コマ劇場だった頃。
僕は歌舞伎町の病院で産まれ、そして捨てられた。

ドキュメンタリーやドラマで度々目にする『捨て子』や『養子』を題材とした番組。

見かけるたびに
『へー、色々な家庭があるんだな。』
と特に興味を持つでもなくコンビニで買った着メロの作成ガイド本を眺めて熱心にケータイをいじる10代の僕がいた。

自分とは一切関係の無い他人の苦労話なんかよりも当時大ヒットしていた安室奈美恵の『Chase the Chance』を着信音に設定することのほうが僕にとって何より重要だった。

ぼくが捨て子だと知ったのはそんな安室奈美恵も一線を退き結婚した後。産まれて30年以上経った頃だ。

今の妻と入籍することになり、人生で初めて取得した僕の戸籍謄本を見た妻が言った。

『ねぇ、この
民法の第四編第三章第二節第五款、第817条の2により〜って何?』

先に戸籍を確認したのは僕だったが、面白いことなど書かれているはずもない。
区役所で取得しすぐに封筒にしまい妻に渡ししていた。

「戸籍だからなんかそっち系のことがテンプレで書いてあるんじゃん?」
とアホなりに考えたことを口にする。

『えっ?でもここに…養子…って書いてあるけど…。』と右手に持ったスマホで早速検索を始める聡明な妻。

(養子って何だっけ…?ホームステイみたいなやつ?) 無関心とは本当に恐ろしい。

意味もわからず戸籍の【特別養子縁組】の文字を眺めるしかない僕に妻が言った。

『両親とは血がつながってないってこと。』

この記事を読んでくれている方が僕と同じ状況にいたらどんな反応をするだろうか?

①半笑いで後頭部を掻きながら「いや、まさか〜♪」
②真顔で「そうなんだ?で、何かある?」
③倒したはずの敵が復活してきた時の主人公ばりに「おいおい…嘘だろ…オィ!!」

僕は頭をフル回転させていた。ただ無言で
ソファに寝転びながら着メロを打つ10
代の頃の自分、授業参観の風景、両親との旅行。クリスマス。
どこかにヒントが転がっていないか記憶の隅々までくまなく探した。

養子や捨て子とは無縁、関心もなく遠い存在だった為当然ヒントは見つからずただ無言でいるしかできなかった。

何も言わない僕に呆れたのか妻が口を開いた。

『やっぱりね!だって○○くんと両親、全然顔似てないもん!!』

場の空気を一瞬で破壊するかのような明るいトーンで妻が言った。 

妻のこの一言で助けられた僕は
「まじで!?似てない!?そんなこと思ったことないけど!ほんとに似てない!?」
と同じくらい明るいトーンで返した。

妻には少し歳の離れた弟がいるのだが確かにどことなく似ている。

他所の兄弟や両親と聞けばだいたい『めっちゃ似てる!』や『顔一緒じゃん!』なんて会話が必然と生まれるものだ。

妻にもらった『容姿』のヒントを手がかりに記憶を遡る。

僕には兄弟はいないが確かに両親に似ているといった事を言われた記憶はない。

逆に過去に『全然似てなくない?』と言われたことがあるのかもしれないがまさか養子だなんという疑いが無い人間にそれを伝えたところで『どうでも良い記憶』として優先的に消されている為全く憶えはない。

だが妻の一言と【特別養子縁組】という言葉を見て改めて親戚の容姿を思い出すと違和感があった。

まず身長がまったく違う。

ぼくには田舎に歳の近い双子の従姉妹がいるのだが、二人とも今すぐミニモニに代打で入れるくらい背が低い。

冠婚葬祭で親族が集まっても170cmあるのは僕だけだ。
男も女も低身長、まるで縦長族がホビット村に遊びにきたような感じになるのである。

両親も然り。

(牛乳ばっかり飲んでたからかな?)とも思ったがこの状況で今さら現実逃避はできない。

肝心の顔だがこれも面白いほど似ていないのである。

東北出身の両親や親戚はみな肌が白く、典型的なザ・ジャパン・フェイスだ。

かたや僕は今では気にもしていないが
『おぃ外人!!』とクラスの男子にバカにされ、隣の女子校の生徒には『ハーフですか??日本とどこのハーフですか?』と言い寄られ勝手に『アサン』というあだ名がつけられるほど中東系の異国情緒溢れる顔なのである。

とにもかくにも自分がどんなに主張しても公的証明書に書かれていることが事実なのである。

なんだかスッキリしたので再度戸籍を確認する。すると【特別養子縁組】以外にもなんだか不自然な場所を発見した。

出生の【届出人】に全く身に覚えのない名前が記載されている。
通常は両親の名前が記載されることがほとんどだ。

後でわかったことだが、病院の担当医だった。

そして【出生地】
すでに歌舞伎町で産まれたと書いているが、自分が産まれ育ったのは世田谷区。本籍地も世田谷区だ。
両親とは結構な頻度で都内の社宅を転々としていたのだが新宿周辺に住んだことは一度もない。

世田谷を生活圏にしている両親がわざわざ歌舞伎町の病院に通院するはずがないのだ。

今や観光客があふれ、ホストのキャッチも見なくなり敷居が低くなった印象のある歌舞伎町だが当時は暴力団同士の抗争や中国人マフィア、麻薬密売人との衝突は当たり前。
歌舞伎町一番街の入口には水商売関係の人間しかいなかったような時代だった為なおさらだ。

この【特別養子縁組】【届出人】【出生地】というヒントのおかげでわざわざ両親に聞くまでもなく自分のルーツを容易に推測することができた。

驚きと同時に
   「なんだ。そうだったんだ。」
              と安堵した。

これからいくつかの過去の出来事を綴っていくが、僕はたくさんの人に迷惑をかけ、悲しませ、裏切ってきた。

本当にしょーもない思春期を過ごしてきた。

僕はたびたび
(自分の両親は立派なのにどうして自分はこんなにクズなんだろう…。どうして両親と価値観が合わないのだろう…。)
と自問自答していた。

答えが出た。血がつながっていないから。

それが何よりの証明だった。

だからホッとした。

一文目に書いた

『僕は本当に幸運だ』

産まれた瞬間捨てられどうして今そう思えるのか。

過去に迷惑をかけてしまった人達に謝罪をしながら少しずつ振り返って行きたいと思う。






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