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【短編小説】織姫紡績【#夏の香りに思いを馳せて】

「社長。いや、お父さん。わし、どうしても夢が捨てられんのです。どうか許してください」

「あかん言うてるやろ。大切な一人娘をお前の無謀な夢につきあわせるわけにはいかんのや」

「おとうちゃん。一生のお願いや」

伊織いおりは畳に頭をこすりつけた。

「お前まで何を言うんてんねや。夢では食うていかれんのはわかるやろ。そもそもこの会社はどうなんねや。けんがあとを継ぐ言うから、婿に迎え入れたんやで。それを今さら夢があきらめられんて、子供みたいなこと。二人とも最近、全然仕事に身が入らん思とったら、そんなたわごとしゃべっとったんか」

「この人は夢しか見えへん人やねん。なんぼ言い聞かせてもあかんかった」

天空てんくうは健をキッと睨んだ。
それから、ゆっくりと両手を畳についた。

「この子にだけは、妻やわしと同じ苦労を味あわせたないんや... すまんけど...この子と別れてくれ」

頭を下げた天空の目に、涙が滲んでいた。

「いややっ... いややっ」

伊織も泣いた。

唇を震わせ、健も背中で泣いていた。


織姫紡績は、先に他界した妻とともに天空が一代で築きあげた紡績会社である。輸出事業が追い風となり、一時期は何千人もの工員を抱えるほどであった。繊維事業が軌道に乗ってからは、当時成長分野と注目されていた航空産業などに多角化していった。

健の夢は牧場を経営することだった。小さな頃から動物好きだった健は、一頭の乳牛を飼い生計を立てていた。将来大きな牧場を経営する夢を、恋人伊織と語りあったが、天空が出した結婚の条件が織姫紡績を継ぐことであったため、一旦は諦めた。再び夢が頭をもたげたのは、新天地土星のニュースが連日流れるようになった頃。〈来たれ土星開拓使〉の見出しに、健の若い情熱は抑えきれなくなった。


健は伊織に黙って住み慣れた木星を去った。

天空はすぐさま、傘下の航空会社に木星-土星便の運航を止めさせた。

「おとうちゃん、ひどい」

伊織は烈火のごとく父親に食ってかかった。天空は最初聞く耳を持たなかったが、日に日に憔悴していく娘の姿を見て、7月7日に年1便の土星便を再開させ、お付き同伴を条件に1日限りの再会を黙認した。


状況が変わったのはその後のこと。

天王星など振興星からの安い製品が木星にも輸入されるようになり、織姫紡績は一転窮地に陥った。傘下の航空会社で事故が重なったことも、天空には不運であった。銀河では〈織姫紡績破綻間近か〉と噂された。

一方、健の牧場経営は順調そのものであった。転機は大消費地火星への輸出の決断だった。健の育てた牛肉は肉質が良いと、火星で一大ブームが巻き起こったのだ。若手起業家として、健の名前は銀河中にとどろいた。


「お父さん」

「お父さんとは誰のことや。わしをからかいに来たんか」

「そんなこと言わんといてください。お父さんを助けたいんです。伊織と一緒に土星に来てくれませんか」

天空が一瞬固まった。

「それは... 出来ん... 織姫紡績を捨てることは、わしには出来ん」

「なんでです」

天空は天を仰いだ後、健の方に向き直って続けた。

「わしもお前と一緒やった。若い頃は夢しか見えんかったんや。これからは繊維の時代と踏んだわしの目に狂いはなかった。しかし、妻の両親にはわからんかったんや。わしらは駆け落ち同然で一緒になり、この会社を始めた。あいつにはどんだけ苦労をかけたか... そんな織姫紡績をたたむことだけは絶対に出来んのや... 伊織は... 連れて行け...」

伊織の目から、とめどなく涙が溢れた。

「わかりました。では、航空事業の経営権を買い取らせてください。不良債権がなくなるだけで、織姫紡績の経営は随分楽になるはずです」

「ありがとう... ありがとう... 堪忍や... どうか伊織を幸せにしてやってくれ...」

その後、健の経営手腕により航空会社はV字回復を果たす。健は、天空がいつでも伊織に会えるよう木星-土星便を毎日運航に戻したほか、銀河各地へ航路を拡大していった。


木星天の川航空(Jupiter Amanogawa Line)通称JALの前身の話である。赤いかささぎを尾翼につけたJALの翼が、今夜も銀河を航行している。



【企画概要】

七夕部門での参加です。




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