贄語り

神様が怒って大地をむしりとって、放り投げて出来たのが、あのお山。怒りで出来たお山だから、たまに火を噴き出すんだ。わたしたちの一族はこの麓に住み着き、怒りを鎮めるように神様をお祀りするんだよ。もし、お山が怒ってしまったら、贄になる命が必要だ。
いつ、怒るかわからないから贄は常にいなければならない。
その贄を生み出すのがお前の宿命なんだよ。宿命というのは決まっていること。
初めて自分の股から血が流れた時、怯えたわたしに村の嫗がそう告げた。
あのお山が時折、怒り出すことは知っていた。幼い頃から教えられていたし、物心ついた年頃に一度、お山が怒ったところも体験した。
地響きが鳴り、地面が揺れ、煙が空を立ち込め、空からたくさんの砂が降った。隣の村の人々は荷物を抱えて逃げて行った。

地響きに負けないように激しく太鼓が叩かれた。白い装束を纏った村の大人たちが同じ言葉を繰り返し叫んだ。
お山に一番近い場所にある遥拝所に大急ぎで村の男たちが立てた新しい小屋が燃やされた。火がおさまり、黒くなった屑が残った頃を境にお山も地鳴りをやめ、煙を噴くのをやめた。
あの小屋の中には贄がいたのだ。黒い屑は綺麗に掃かれ、集められ山に撒かれた。贄は男と決まっていた。女を知らない若い男及び男児。お山の神様は女神様らしい。
贄を生むために選ばれた女から生まれた男児は贄に、女児は贄の母となるのだった。つまり、わたしの母も贄生みの宿命の女だ。父はわからない。わかる必要はなかった。

わたしは村の子として育った。他の子どもと違って、自分の自分だけの家があり、そこに世話をする人々が来る。贄と贄生みはそのように育つ。
初潮を迎えた三月後に贄生みの仕事は始まる。新しく遥拝所の近くに小屋が建てられる。小屋は木の香りと飾られた花々の芳しさ、高貴な焚物の深遠な薫り。祭壇に採れたての果物や穀物が供物として並び、粛々とした儀式の後にそれらを元に饗宴が始まり、わたしはすすめられるままに酒を飲んだ。酔いと焚物の薫りと相まって、そのまま横になって眠ってしまう。
それは、そうやって恐怖や不安を打ち消すためだった。
饗宴の食物も花も片付けられ、灯り一つない真っ暗闇。ただ、玲瓏に響く鈴の音。遠くから少しずつ、此方に向かい近付いてくる。
その音色は贄の母への報せであり、村の人々への警告であり、神への祈り。
心を穏やかにし、動かずにただ来訪を待つ。その間、村人は外に出てはいけない。
近付いてきた鈴の音。その儀式は月のない闇夜に三日間行われる。だから、扉が開かれても相手の姿は見えない。
それは宿命を抱えた女が贄の母になるための行為。相手の腰に帛で鈴を括り付けている。行為を終えた相手は鈴を置いて出て行く。
翌朝、差し込む朝日に照らされた小屋の床に白い帛の付いた鈴だけが転がっている。それを拾い上げ、祭壇へ捧げる。左に寄せて置き、第二夜、第三夜と順に並べる。そして、待つ。贄の来訪を待つ。
  贄の来訪がない、身籠りがないと鈴は村の人々により回収され、放たれる。贄の父となる男がどのように決まるかをわたしは知らなかった。ただ、三晩訪ねて来るのは各々違った人物であるのは暗い中でもわかった。それが誰かは知らないし、知らなくて良かった。
 最初に生まれたのは女児だった。出産は村の外れの洞穴で行われる。白い幕に囲われたなか、赤子の声が反響する。顔も見ることのないまま、立ち合った村の女たちに赤子は連れて行かれる。鐘が鳴らされる。ひとつ。それは女児の合図だ。彼女もまた自分と同じ宿命を抱いている。
二人目は男児であった。だが、身体が弱く、わたしの母乳がとまる前に亡くなった。遺骸はわたしの住居となる小屋の下に埋められた。
三人目も男児で彼は健康に育った。
ある時、儀式の三日間に臨む前に近くの川で禊ぎをする為に外に出た。一人ではなく、村の女たちに囲われて川に向かうのだが、その一行を村人たちが眺めていることがあった。村人の中に子どもがいた。
髪を綺麗に結い上げた幼女がこちらを見上げていた。薄紅色の衣、それは贄の母のみが纏う色。わたしの娘のようだ。
だが、彼女は今はまだわたしが母だと知らないだろう。
ただ生むだけの母。自分も子どもの頃は不思議だった。回りの人々には家族がいた。父や母といった特定の人間がいた。わたしはたくさんの大人たちに囲まれ、彼らに共同で育てられた。色々な女の乳で育った。生みの母を見たことはなかった。寂しくもなかったから、特に会いたいとも思わずに育った。わたしは贄を生むための人間なので、周りの人々と違うのは仕方ないのだ。
ある時、お山が怒りを発した。地面が揺れ、煙に世界が満ちる。
贄の準備だ。白装束を灰まみれにさせながら男たちは木を切り、小屋を立てる。粛々と進む儀式の支度。
贄の母は何もすることはない。ただ、神へ祈るのみである。
小屋は燃やされた。贄は無事に捧げられた。
わたしの宿命は果たされた。そして、お山は静けさを取り戻す。
月が皓々と光る夜、静かになったお山をわたしは見上げた。虫の音が響き、夜行性の猛禽類が低く啼く。ひっそり、小屋を出て月を背負う尊いお山を眺めていると背後に気配と物音。野犬でも来たかと驚くと、其処には男が立っていた。月明かりのお陰で灯りは無くとも、姿は見えた。
背が高く肩の盛り上がった逞しい男だった。衣服から村の男だとわかる。項垂れた彼はギョロリと目玉を動かし、わたしの姿を認めた。すると、驚いた顔をすると膝から崩れ落ち、地面に踞る。
汚れた太い指で顔を覆うと大きな身体を震わせていた。
彼は贄の父だろう。
わたしの血潮がそう告げる。贄の父が誰かはわからない筈だった。三夜の来訪者は別々の男だからだ。だが、子どもが育つにつれ、似た部分を見つけ出すのだろう。息子だと思うと愛着も湧くのだろう。
親に愛されたこともない故、子を愛することもわからない。子どもは可愛らしいと思うが愛おしいとはまた別だ。わたしは贄の母なのだから。
足元で声を殺して涙する男をただ目前と眺めていた。

わたしは五人の子どもを生んだ。
贄の母は五人以上は生んではいけない。五人生んでは役目は終わりだ。
祭壇のある小屋を出て、村の端に新たに移り住む。小屋は祭壇ごと壊され、また新たに作られる。わたしが最初に生んだ女は初潮を迎え、また祭りが始まる。


ある満月の翌日、村に旅人が訪ねて来た。お供を一人だけ連れていた。
恰幅の良い青年であった。村の青年と違って目蓋も唇も薄い容貌で歯並びが整い、美しい容貌。彼の纏う精緻な織物の衣やあまり目にしない色味の布に村人たちは興味を示した。立派な武具も携えていた。
それでも村中で警戒をしていたが、彼は時折、わたしたちの理解しえない言葉を発し困惑したものの、大まかな意志疎通が出来た。
彼は己の纏う衣を示し、染料の素材と着色について村人に教授した。知恵を賜ったことで、警戒を解き歓迎の宴を催す。

美しい旅人はお山の怒りを知っていた。少し離れた村で話を聞いたという。怒りを鎮めるために人身御供をしているのは誠かと、神妙に問うた。
そうしないと、お山が火を噴いてしまう、と一族の長が説明した。
続けて旅人は生け贄はどのように選ばれているのか、と問うた。生まれもっての犠牲の命を彼は悲しんだ。わたしに向かい、可哀相に、と涙を見せた。とても美しい泪であった。月明かりの下、わたしを訪れ泣き崩れた贄の子の父とは異なり、縁もゆかりもない土地の会ったことのない男児を憐れむ心に驚くと共にわたしの心は動揺した。
 旅人はお供の男と共に染色技術以外にも色々な知恵を村人に授け、信頼と尊敬を集めた。
そして、新月が近付く頃に旅人は一族の長に告げた。実は自分はお山の怒りを鎮めに来たと。そのようなことを出来る訳がない、お山が次いつ怒るかわからないし、静かな時になにもする必要はないと長は言った。だが、旅人はこれからお山の山頂にお供の者と共に向かうと旅支度を調え、新しく作ったばかりの弓を背負い遥拝所の裏からお山を登ることとした。
いざ行かん、とその時に同行を願い出たのは村の若い青年。彼も旅装束であった。贄の年齢を過ぎ、家庭を持ったわたしが生んだ息子である。
自分はお山を鎮める贄として生まれた。だが、その機会なく成人を迎えた。元々、贄になるための命だから、是非お供をしたい、わたしにはこの界隈の地形にも明るいから役に立つと懇願した。
彼は贄として生まれたことを誇りに思い、それでいて賢く近隣の村々とも円滑な交流をするなど能力の高い人間であった。それ故、村から出るのを他の人々は惜しく思ったが、彼の聡明さがなせることだと納得した。
わたしは彼を生んだものの、育ててはおらぬ。血の繋がりはあれど、絆や愛着はあまり無かった。それらを抱かぬように、わたしが仕付けられていたこともある。対して、賢明な青年となった彼はわたしを母と認識し、絆なかれども、命を嗣いだ者として敬う心を持っていた。
旅人は彼の意向を喜んで受けた。改めて出発の際、彼はわたしの前に進み出、出立の挨拶を述べた。わたしは己の衣の裾を歯を使って千切り、裂を彼の片足首に結んだ。それは結び方で再会を願う呪術であった。彼は眩しさを堪えるような顔でわたしを見下ろし、そして丁寧に礼を述べた。

旅人とお供、そして息子の三人は獣道しかない険しい山の中を進む。先頭を行くは村の青年である贄の子である。右も左も木の生い茂る同じ風景の中を勇ましく進んで行く。時折、山の獣に遭遇した。このお山にはあまり獰猛な獣は住み着いていない、だから、麓の村も安全に暮らせていた。
お山を進んでゆくと土の道はやがて、黒い凹凸のある道と変わる。木々が減り、緑を見下ろせた。山頂に辿り着くと旅人は新しい弓を火口へ向かい放り投げた。そして、贄の子の聞いたことのない言葉を何度も繰り返し、途中の小川で汲んだ水を撒いた。このなかには貴重な塩が入っていた。
しばらくすると白い大きな鷲が飛来し、目の前に下りた。
旅人はこれでもう大丈夫だと頷いた。この鷲はわたしを迎えに来た。これから、わたしたちは目的の土地へと向かうと告げた。




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