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『バースデイ・ストーリーズ』は、村上さんが選んだ十二の短編と村上さん書き下ろしの一作が収録されたアンソロジーだが、村上さんのペンによる作家たちの紹介が、やっぱり“村上さん”で、「訳者あとがき」などどう読んでも逸品のエッセイで、丸ごと、一冊、村上春樹による十三の誕生日物語なのだ。

まったくその存在を知らなかったクレア・キーガンを、図書館のサイトで検索すると『青い野を歩く』『バースデイ・ストーリーズ』の二冊が現れた。

彼女のことをどうやって知ったのか、どうも思い出せない。たぶん書評系サイトかなんかだったと思うが忘れてしまった。彼女がアイルランドの作家で、アメリカで小説を勉強し、若くして欧米の文学界で高く評価され、今は、都会では暮らせないと、アイルランドの海辺の田舎町で犬と馬と暮らしているらしい、というエピソードに惹かれて検索した次第。

まず、『バースデイ・ストーリーズ』を手に取る。
「中央公論新社」の<村上春樹翻訳ライブラリー>シリーズの一冊。
シリーズは、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァ―、ジョン・アービングといった村上さんお気に入りの作家たちの作品を村上さんが翻訳していて、ああ、本当に彼らの小説が好きなんだなぁ、と思わずこちらの頬もゆるむ。

村上さんは、ウイリアム・トレヴァ―『ティモシーの誕生日』や、ラッセル・バンクス『ムーア人』のような誕生日をテーマにした短篇小説をいくつか読んで、“自分の手で集めて編纂し、翻訳も全部やろう“と思い立ったんだと記している。
誕生日をテーマにした短篇なら簡単にセレクトできるだろう、と思ったそうだがこれが案外の難航。この辺のいきさつは本書の「訳者あとがき」に詳しい。

12人の作家は、アイルランド出身のクレア・キーガン、ドイツのミュンヘンで産まれたデニス・ジョンソンをのぞいて、みんなアメリカ生まれのようだが、ぼくが知っていたのはレイモンド・カーヴァ―だけという体たらく。
収録されているカーヴァ―の「風呂」を読み進めてみると、なんだか読んだことのある展開、筆致。
読み終わって、ストーリーがはじまるページの前に付された村上さんによる「作家」の紹介(これがいい!)と作品の寸評をチェックする。
既視感は、ぼくの本棚で眠っている『ささやかだけれど、役にたつこと』(村上さん訳)。
「風呂」と『ささやかだけれど、役にたつこと』。ほとんど同じ内容だが、編集者が強く介入したものと作家が思うように創作したものの読後感がこんなに違うのか、と驚く。

このシリーズのきっかけになったラッセル・バンクスの『ムーア人』からセレクトされた同名の「ムーア人」は、田舎のダイナ―で誕生日をお祝いされている老婦人と思いがけなく再会を果たす中年男の物語。

仲間と家族を先に帰した二人は、最後の一杯にシェリーとウオッカ・トニックを頼む。酒を選ぶセンスがいいのだ。
「うちのおごりだよ」と二人のテーブルにグラスを運ぶダイナ―の店主が、またいい。

これ以上書いてはいけない!いけないのだが、あと少し。

“鳥のように唇をすぼめてシェリーを飲む”老婦人が聞きます。
「ウォーレン、ところで私に出会ったとき、あなたは童貞だったの?」
さて、ウォーレンは何と答えたでしょう。楽しく、心温まる誕生日ばかりではない。ほろ苦く、淡く、淡いまま消えてゆくバースデー・ストーリーもある。

医療用の阿片をやって、舞い上がって友だちを撃ってしまう誕生日。

妻の待つベッドへ、誕生日祝いに行きずりの男を送る夫。
その逆のストーリーも。

離婚して離れて暮らす息子の誕生日。息子を誘い美術品を盗もうと企む父親。

 この本に出会うきっかけになったクレア・キーガンの「波打ち際の近くで」は、成績優秀だが、どこか線の細い大学生が、やり手(人生のという意)の母と粗野で金持ちの義父のもとで過ごす誕生日の情景が描かれている。村上さんは、
“シンプルな言葉を使ったシンプルな文章の連なりが、シンプルな(しかし温かみと奥行きのある)情景を紡ぎ上げていく。”
と表現している。

 ぼくは、スコットランド系移民のカナダ人作家、アリステア・マクラウドの文章を思い出していた。国は違うかもしれないが、強国のエゴに虐げられてきた歴史は、アイルランドにもスコットランドにも刻まれている。それを耐え抜いてきた民族性、そんな風土が育む言葉の連なりをぼくは愛す。

レイモンド・カーヴァ―の「風呂」と「ささやかだけれど、役にたつこと」同様に、「波打ち際の近くで」も『青い野を歩く』に掲載されているが、『バースデー・ストーリーズ』に載っている初期のバージョン版と『青い野を歩く』のバージョンでは書かれている展開が違っている。どちらがいいとは言えない、ぼくには優劣が言えない、どっちもいいのだ。好きか嫌いかでいいなら『青い野を歩く』のバージョンを挙げるが、是非、読み比べてほしい。

『青い野を歩く』については、もう一度読み直してから、何か書くつもりだ。

『バースデー・ストーリーズ』を開いて最初に読んだのは、ウイリアム・トレヴァ―の「ティモシーの誕生日」だった。
 わだかまりのある親子。
離れて暮らす息子は友だちに両親への伝言を託す、「帰れない」と。
気が進まない友だち。息子のために用意された好物の数々、代わりにご馳走になる友だち。

参るんだよな、こんなストーリー。おまけに、Spotifyから”Shape Of My Heart”が流れてくるなんて。


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