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ハイボール二杯分の短編をひとつ。それも酒場のお楽しみ。

本屋を徘徊する日は、本棚から一、二冊持参する本をピックアップして出かける。
そして、これは!という本が手にはいると、今度は午後早い時間から開いている酒場を探す。

手にはいらなくても酒場は探す。そのために出かける前の本選びにはちょっと時間をかける。きっと、もうその時点で「この本なら、あの店だな」なんてことを考えているに違いない。

先日の徘徊持参候補は、ヘミングウェイ『移動祝祭日』、日本で編集された『カポーティ短篇集』、そしてアリステア・マクラウドだった。

ヘミングウェイの『移動祝祭日』は、若く、無名のヘミングウェイが過ごしたパリのメモワール。
巨匠と呼ばれた作家の生涯で一番輝き、心躍る時代だったことがテクストに、行間に滲んでいるような気がする。
なかでも「シェイクスピア書店」がいい。

シルビア・ビーチが経営していた時代の「シェイクスピア書店」との関わり、無条件で人間を信頼するシルビアへの敬愛を綴ったたった6ページの短編には、まだ何者でもない駆け出しの小説家の苦悩と野望、それを支える年上の妻とのみずみずしい暮らしぶりが生涯唯一の宝物のように描き出されていて切ない。

『カポーティ短篇集』は、一冊を通して正しく、お行儀よく読んだことがない。
いつも気ままにページを開いて読み始めて、ああ、そうそう、このあたりの言い回しがいいんだよな、さすがカポーティだよな、なんて読み方をしている。
なかでもヨーロッパ滞在をテーマにした短編が好きだ。
仲間数人と春から初夏にかけて滞在したイスキア島での旅情をテーマにした「イスキア」は、出来事というほどの出来事もない島暮らしを、淡い水彩でスケッチした絵の所どころに深いブルー・インクで強調線を刻み付けるように書き記されていて、なぜだかとても好きな短編なのだ。
「イスキア」は、有楽町のワインとチーズを売っている店のグラスワインを飲ませるコーナーで拾い読みをした記憶がある。

目ぼしい収穫が無いまま酒場へ向かう。
銀座「ROCK FISH」のカウンターで、ホットドッグを左手に、右手でページを押さえていたのはアリステア・マクラウドの短篇集『灰色の輝ける贈り物』の中の掌編「広大な闇」だった。

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かつて石炭採掘で栄えた島も閉鉱が続き、落盤、坑内爆発、粉塵による肺病というリスクと引き換えに築いてきた代々の炭鉱夫一族の歴史もそう長くは続かないことは誰もがひしひしと感じている。そんな陰鬱な日々が、マクラウドらしい心地よい低音階で綴られる。

職を求めて島を出て行こうとしている息子。
黙って見送る家族。

ヒッチハイクする息子が拾った車は、同じ炭鉱夫たちのものだった。

―車は夜のなかへ入っていく。ヘッドライトが白線を探し出し、それに従って進む。誘いこむような白い線が、俺たちを持ちあげ、前へ、上へ、内へ、そしてどこまでも続く広大な闇のなかへとひっぱっていくようだ。
「あの辺だったら、相当昔から石炭で暮らしてたんじゃないか?」と隣の声が訊く。
「ええ、一八七三年からです」
「くそっ」。しばらく間をおいて男が言う。「たまんないよなあ、胸がはりさけそうだぜ」ー

グラスの底のハイボールを飲み干し、カウンター越しに、ごちそうさまを言って、ぼくは友だちの酒場「BAR DIEGO」へ向かう。

酒場と書物のやさしい関係。


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