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どのページをひらいても、過不足ない文章と、いいなぁコレ、と思わず触りたくなるガラクタがいっぱいなのだ。

『猪熊弦一郎のおもちゃ箱』~やさしい線~

後ろのアトリエとひと影の写真は『画家のおもちゃ箱 猪熊弦一郎』。 1984年に上梓された写真&エッセイ集といえばいいのかな、その中の見開きページ。
奥付に、<著者―猪熊弦一郎 写真―大倉舜二>とある。

前に映っている『猪熊弦一郎のおもちゃ箱~やさしい線~』は2018年3月3日が初刷り。
後ろの本を元本にして編集されている。

奥付に、<文章-小宮山さくら>とあるから、きっと小宮山さんのタイプだと思うけど、スケッチブックの写真について、

目次の前にこんな素敵な絵と写真が何枚も。

スケッチブックについてしまった絵の具も、
ひとつの絵にしてしまいます。
猪熊さんは、大人を経て子どもになりました。

誰も彼も自分の仕事を
大事にしていれば
いい世の中は
自然につくられてゆくと思う。

と書かれている。

1902年、香川県高松市で生まれ、

大好きな絵をもっと描きたいと「東京美術学校」に学び、

パリにアトリエを構え、マティス、藤田嗣二、ピカソらと交わり、

第二次世界大戦中には従軍画家として戦地に送られ、

イサム・ノグチと出会い、親友となる

52歳にしてゼロからやり直すためにニューヨークに20年も棲み

病を得ても、ハワイと日本を行ったり来たりして、

85歳のときに60年を共に生きてきた最愛の妻の文子さんを亡くし、

それでも90歳で亡くなる間際まで絵筆を手放さなかった猪熊弦一郎さん。

この本は、そんな画家が自らの人生をスケッチしているみたいな本です。

もう、一時も目が離せないやんちゃ坊主。
大人になってから、もう一度子ども還りした絵描きさんの、現実のアトリアと、こころの中のアトリエには、<猪熊弦一郎>とタグを付ければ、世界中の画商垂涎の“売り物”になってしまうガラクタ、おもちゃがいっぱいです。

アメリカインディアンの木製人形/カチナドール
コインシルバースプーン。アーリーアメリカン時代、コインをスプーンメーカーに頼んで作った。
文子夫人がこつこつ集めたもの。なかには歯型のついたものも。


画家命名の「対話彫刻」シリーズ。禁煙の手慰みだったらしい。


今も使われている「三越」包装紙のデザイン画。


読み終わって思う、強く。

一度、会ってみたかったなぁ。話なんていいから、そう、老画家が誰かとお話しされている側のテーブルで、珈琲を飲むふりなんかして、じっと聞き耳立ててる。
そんなんでいいから、一度だけ。

ピカソの全盛期は20代の頃の「青の時代」だと、画家も、画商も、評論家もこぞってそう断定する。
ニューヨークで大回顧展が開かれた時のこと。
猪熊弦一郎さんだけは、いちばん素晴らしいのはピカソの晩年の作品だと強く主張したようです。

 猪熊さんが見たものは、ひとりの天才が持てる才能をすべて爆発させたあ
 との静かな激しさ。
 老いてますます強まる生への執着と、かすかに漂うエロティシズム。そこ
 には、若い画家には到底表現することのできない凄まじさがありました。

猪熊さんは確信します。
絵描きは、絶対に長生きしなければいけない、と。

なんだか、老画家に励まされたような気がします。
「なんでもいいから、頑張って生きなさい。そして、いいモノを残していきなさい」
そう言われたような気もします。

今、ぼくの目の前にあるモノが、それなのかどうか確信はありませんが、そのための長生なら挑戦してみよかと、考えたりしています。


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