プライドが高いのではなく、打たれ弱いと言いなさい
プライドが高いという言葉をよく聞く。
本来、プライドは自尊心という意味だから、プライドが高いという言葉は自尊心が高いという意味だ。自尊心を辞書で引くと次のように解説されている。
なるほど。ということは、プライドが高いというのは、自分の人格をとても大切にしているとか、自信に満ち溢れている状態といえそうだ。
しかし、現実ではこんな使われ方をする。
僕の経験上、自信に満ち溢れている人は、注意されたくらいで反論してこない。むしろ、必要な注意は受け入れる度量のある人が多い。
注意されたくらいで言い返してくる人は、プライドが高いのではない。
打たれ弱いのだ。
プライドはむしろ低い。
だから僕は、そういう人をプライドが高いと呼ぶことには反対している。かつて僕の職場にも非常に面倒な人がいた。退職したので今は平和だ。
その人はみんなから「プライドが高くてめんどくさい」と言われていたが、僕はそれを訂正した。
なぜか。
プライドが高いと表現すると、その仕事に対する技量の高さやこだわりの強さまで高いというニュアンスが出てしまうからだ。たとえば、
こんな感じで、怒って反論するだけのバックボーンがあるなら、たしかにプライドが高いという表現もおかしくないのかもしれない。自負心があってしかるべきだからだ。しかし、多くの場合、プライドが高いと呼ばれる人たちは、その道で功績のある人ではない。仕事にこだわりがある人でもない。
どちらかというと、自分の(勝手な)思い込みにこだわりのある人だ。しかもよく考え抜かれた思い込みではない。(思い込みとはそういうものだ)
自分で勝手に考えて、周りに意見を求めることもなく、自分の考えに固執して、まわりが違う意見を言うとそれを罵倒する。自分が正しいことを証明したくてしかたがないのだ。
これはプライドが高いのではない。
自分の意見が反対されただけで粉々になるくらい、自尊心が脆いのだ。
反対した相手を徹底的に論破しないと気が済まないくらい、打たれ弱いのだ。
プライドは低いなんてもんじゃない。ないに等しい。
プライドが高い人はもっとどっしりとしている。
と、ここまで面倒だった人を思い出しながら書いたが、大切なのは自分にこの傾向がないか知ることだ。
他人に何か言われてイラっとしたり、反撃したくなったとき、これはプライドが高いせいなのか、打たれ弱いだけなのか考えてみるのはいい経験になる。
なにより、考えている間に怒りが収まるだろうから、アンガーマネジメントとしても効果的だ。
ちなみに僕は話し方や伝え方を否定されるとイラっとしやすい。これはある程度自信があるからでもあるが、よくよく考えると、そんなに立派な経験があるわけでもないし、誇れるほど訓練したわけでもない。だからたぶん、打たれ弱いんだろう。
では、僕は何をすべきだろうか?
怒りをあらわにしないようにグッとこらえる訓練をするというのも、ひとつの方法かもしれない。
しかし、もっと建設的な方法もある。
いっそのこと、本当に話術を訓練して高みを目指すのだ。
そして誰もが尊敬するようなレベルに到達しよう。
そうすれば、たとえ人から誤りを指摘されても、ガンガン反論してコテンパンにする免罪符を手に入れたも同然だ。打たれ弱いんじゃない。プライドが高いせいだと言い訳することができる。
よし、決まりだ。
今日から話術を鍛えなおそう。
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