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007どうにかして言い切らない

わたしの部屋には全身鏡が置いてあります。いっちょまえに置いています。毎日前に立ちます。今日も出かける前の最終チェックで立ちました。今日はベージュのパンツに白のTシャツに白のスリットベスト。靴下は青で、なんかもの足りないので腕時計をつけました。
鏡の前に立ちながら、もしかしたら今の自分は「服に気を遣ってる」状態なのでは!?、とか思っていました。そしたらふと、「服に気を遣う」という言葉が気になったんです。当然服には意思がありませんので、服様の顔色をうかがったり、服部長のグラスが空いているみたいなことを気にする必要はないわけです。となると、「服を着ている自分に気を遣う」とかなって、おぉ、意外といい言葉なのかもと思います。
ところがですよ、実際のところはそうでもないような気がするなぁ、となります。自分の為に自分の好きな服を着るってなかなかできないような気がするんです。制服を着ることを教え込まれるし、服にカレーのシミがつこうもんなら、全人類が見てるんじゃないかってくらい気になるし。「服に気を遣う」って、「服を着ている自分を見ている人に気を遣う」ってことなのかもしれないな、って思いました。
それじゃあ疲れちゃいます。自分のこころが向いていない方向だろうと、(おそらく日本人にとっては)かなり強い力で強制的に歩かされるわけですから。そんなお疲れモードの時期を、それなりにはなれるファストファッションが、妥協案みたいなかたちででも埋めてくれるんだな、とか感じました。ほんとに助かってます。
 
今日も読んでいただきありがとうございます。今日のエッセイは変更したタイトルを見てほしくて書きました。(笑)

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