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「幸福」なんて誰にも口出しできないものでしょう。

つばめはどんな思いで飛んでいったのでしょうね。

想像はあっちにもこっちにもできます。
でも断定は出来ない。

だってつばめの幸福も、王子の幸福も、彼らだけのものだけだと思うから。


「自己犠牲」だなんて、強い言葉で彼らの行動をまとめてしまうなんてそんな無粋なことできないでしょう。


「幸福な王子/オスカーワイルド」

広場に立てられた王子の像が、宝石でできた自分の目や体じゅうの金箔を、燕に頼んで貧しい人々に分け与えてしまう『幸福な王子』。若い学生が恋人にささげる赤いばらを、一羽のナイチンゲールが死をもって与えてやる『ナイチンゲールとばらの花』など、十九世紀イギリスの小説家オスカー・ワイルドが格調高い文章で綴った、献身的な人間愛と社会への諷刺にあふれる9編を収めた童話集。

こちらのコラボ企画で気になっておりました。


ヨルシカさん、失礼ながら昨年観た映画の主題歌の「左右盲」くらいしか知らないのですがとっても心に残る曲で大好きです。

その曲の表紙だ…と思い、まさかオマージュしているとも知らず
なんでコラボなんだろう??と思い手に取ったのです。


「幸福な王子」は絵本などで知っている方も多いと思いますが、童話集とは言っているものの大人にも考えさせられるものばかり。
(時代と、作者のオスカーワイルドがキリスト教ということを頭にいれておけば読みながら「?」と思う表現も、のちのち納得できる箇所が複数ありました)


今って、生き辛い時代とか言われることが多いなと思いますし自分でも実際感じることも多いです。

だからなのか【自分を大切に】が様々な表現で強く叫ばれている気がする。

もちろん、そうだと思うのです。何よりも大切なのはまずは自分だと思います。


でもどうすることが、何をすることが【自分を大切に】することなのか。
それは人それぞれで良いのでは。


この本を読む前、読んだ後、それぞれ感想をネットでいっぱい探してみました。

「自己犠牲」この言葉がたくさん。

この言葉強くないですか?

なんかもうちょっと言い換えられないのだろうか。


私が子供の頃に見た大好きなドラマで、ずっと大切にしている言葉があります。迷った時は指針にするくらいなのですが。


誰かのために生きることは、決して犠牲じゃなくて、むしろ喜びなんだって気づいて

捉え方はたくさんあると思うのですが、
私は何かをしたいと思える相手が自分以外にいること。それはとても嬉しいことなんじゃないか、と考えました。


この言葉や考え方を、自分以外に押し付けたいわけではないし自分自身が妄信しているわけではありません。


でも、自分の像がぼろぼろになってでも町の人を少しでも助けたいと思う王子の心はなんて愛おしくて尊いものなのだろうと思います。

そしてその行動を助けたつばめも。

きっと王子もつばめも、自分のしたことで喜ぶ誰かがいて幸せだったんじゃないかな。


誰かを思ってとった行動は、第三者から見てみると滑稽に映ることが多いと思います。

ちょっと冷めた目になってしまう。
(ニュースとかもそうですよね)

でも渦中にいる人の心は、誰にもわからないんだから。

他人が、あの行動はこう。とか決めるのは嬉しいことではないですね。


「幸福」は他者が決めることじゃない。
自分自身なんだ、そう強く感じたのです。



ヨルシカさんの「左右盲」のなかで、良くも悪くもここだけ毛色が違うな…と感じていた部分。
まさかの「幸福な王子」そのものの行動だったとは。

僕の身体から心を少しずつ剥がして
君に渡して その全部をあげるから
剣の柄からルビーを この瞳からサファイアを
鉛の心臓はただ傍に置いて



読んでいただき、ありがとうございました。

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