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インプットとアウトプットのバランスを考えないことがバランスを保つための自分なりの秘訣

インプットとアウトプットのバランス、そんなのあんまり考えてこなかった気がする。気が向いたときに気が向いたようにしていた。そして大体疲れて燃え尽きてぷしゅーってなる。

改めて自分にとってのインプットとは?そしてアウトプットとは?を考えてみたうえで、どんなバランスで今まで過ごしてきたのか、そしてこれからはどうしたいのか?を考えてみたい。

ネタをください企画、第9弾。かいとさんからのお題で【インプットとアウトプットのバランス】
答えになっていないアンサーになってしまったけれど、こんな適当だからこそどっちもできてるのかもしれない、なんていうあいまいな自分

Thanks かいとさん

ネタをください企画とは
自分のアウトプット力の限界を試してみたい!となって、
心優しいお友達にネタをください!とお願いして、もらったネタでnoteを書いてみる企画。どんなネタでも書きあげる!ことを目標にすることで完璧主義者の私をちょっと退治してみようと始めた。ありがとうございます。
引き続きネタは募集中です。

第1弾:もみじまんじゅう
第2弾:5年かけて得た、クライアント力の要諦
第3弾:名前について
第4弾:オートミールが無くなった世界戦に飛ばされたら明日からかえではどうやって生きていくのか
第5弾:好きな色
第6弾:どんなときにエネルギーに満ち溢れ、喜びや満足を感じますか?
第7弾:ハードな環境でも頑張ってこられた理由
第8弾:温水と冷水の水脈と周りに築きたい生態系


インプットはどんなものからでも得られるけれど特に生々しい人の物語が良いインプットになる


私にとってのインプットは生活におけるすべてだ。これはインプットだ、これはインプットではない、と意識していることはないように感じる。本を読む・動画を見る・人の話を聞く。そんな五感をフルに使った体験はインプットとしては代表的な気がする。

でも私にとっての一番のインプットは、人の物語、特に経験やそこで感じたこと、考えたことを聴くことだと思う。

少しだけ補足したくなったのは、ここで私の言いたい人の【物語】とは、コーチングセッションで聴くクライアントの【物語】とは少しだけ質が違う。

色々な理由があって質感の違いは生まれている気がする。

理由の大きな1つはコーチングをするときは、意識が自分の内面ではなくて、クライアントのほうを向いている感覚があるから。クライアントの物語を聞いて、私の心がどう動いたのか?ではなくてクライアントの心が何を感じているのか?を意識している。

だから自分に向けたインプットという感覚はない。

もう1つの理由を挙げるとすれば、コーチングセッション中はクライアントと一緒に【物語を作っている】感覚がある。一見一つの旅が終わった物語風であってもクライアントは次の物語をもう始めようとしている。だから常に物語は進行形で紡がれている。

誰かの経験を聴くときは、その物語はもう終わっている。私がどう関わろうともその終わりに変化はない。完結したエンディングまである物語を映画館の特等席で観ている感覚。第三者的な感覚が近いのだと思う。

第三者的な立場で物語を見ているときに私に起こっていること、それはその人の気づきや発見を一緒に体験している感じに近くて、同時に私だったらどう思うだろうか?どう感じるだろうか?を考えている気がする。

でもどんな物語でもめちゃめちゃインプットになったなという感覚が芽生えるかというとそうではない。

生々しい感情が載った物語が好きだ。


私の周りには稀有な人が数名いる。彼らは自分の感情や思考を外に出すことを躊躇していない。だから彼らが語る物語には生々しい、時には生々しすぎて人間味に溢れすぎているぐるぐると渦巻くような感情が物語に載っている。

そんな物語を聞くのが好きだ。聞くとエネルギーがわいてくる。勝手に自分も続いてやるぞ!というエネルギーをもらっている。

私にとっての良いインプット、それは良いエネルギーをもらえることなんだと改めて思う。


アウトプットはあふれ出す想いや言葉をエネルギーがあるときに外に出して置いておくこと


では逆にアウトプットとは何か?

最近アウトプットを重点的に行っているからこそ、しっくりくる表現それは、【止められない・外に出したくてたまらない想い】それがアウトプットだと思う。

毎日noteを書いていて思うこと、それは一度テーマを決めてしまえば意外とかけてしまうものだということ。小さな習慣ではあるけれどいつの間にかnoteを書くことは習慣になっていた。

21日間続いたことは習慣として定着しやすいらしい、今日でnoteを連続投稿してちょうど20日目だ。自然な形でnoteを書く習慣が付いた気がする。書く界に入って自分に若干のプレッシャーをかけたのもうまく働いたように思う。

止められない・外に出したくてたまらない想いは毎日生きている中で少しずつ溜まっている。仕事だけをしていて感じていることがないような日であっても、新しい経験をしていない日々と思っていても、意外とある。

24時間を過ごしている中で、自分はいろいろなものやことを感じている。ストレスも喜びも様々なものを感じている。それを一部だけ、書きたいと思っているところだけ、言葉に出して消化している。昇華しているのかもしれない。

アウトプットをすることは心の中に抱え込んでいた想いを切り離して外に出して置いておくこと。ゲームのセーブ機能に近いなと思う。その時その瞬間に感じていたものを残しておく。あとでそこに帰ってくることができる。

そして外に出して置くからこそ、いつまでも抱えておかなくても良くなるのがアウトプットのいいところ。だからこそ外に出して置きたい想いを言葉にしていくことに大きな意味があると思う。


ジャーナリングと同じ、でもジャーナリングよりは一つテーマや事柄を決めて、そこに向けて今思う・感じること、書き出して置きたいことをエネルギーに任せて書くことが私にとってのアウトプット。


バランスを考えないことが良いバランスをとるコツらしい


改めて今の自分にとってのインプットとアウトプットとはどんなものかが整理されたところでどんなバランスで生きているか?を考えてみると、身を委ねていると感じた。

必要なときに必要な方が始まってくる、そんな感覚。


インプットのほうは、自分一人では欲しいインプットには出会えなくて。アンテナを立てて探していれば、ぽん、と自然な形でインプットを手渡してもらえる感覚がある。

そしてこれまた不思議なことに手渡してもらえるインプットは、その時の自分にとても響く大切な質感を持った物語が多くて、私は多くの刺激を受けられる。


意味を無意識に自分が渡された物語に付与しているのかもしれなくて、きっと別のタイミングで同じインプットをもらったらまた別の物語の質感として自分の前に現れるのかもしれない。

いずれにせよそんな風に生々しい感情とエネルギーがあふれたインプットは必要なときに急に現れる。それを私は全力で捉えに行っている。そんな感覚。


そしてアウトプットのほうも、タイミングだなと思うのだ。書きたいと思う想いや考えが湧いてきて、それを言葉に載せて出していく。

エネルギーはいつもあるわけではなくて、勢いに任せてバーっと書いて、疲れたら止まって、また書きたくなったら書き始める。そんな感じ。

今日のこのnote一本だって実は5回くらいに分けて書いている。(笑)

書ききらなきゃとか、何文字書かなきゃとはないからこそ、自由に書きたいタイミングで、出ていきたい言葉と想いが出ていっている気がする。


前だったら納得いかない出来なのかもしれない。もっと内容も構成も考えて完璧に書きたい、そんな思いがあったような気がする。でも今は「こんなもんでしょー」と、中途半端でも、完璧じゃなくても自分で自分を許しているからこそ、続けられている気がする。

私にはあまりバランスを考えすぎないことがもしかしたらバランスをとるコツなのかもしれない。自由なこと・縛られないことが自分にとってバランスをとるために欠かせないことなのだと改めて気が付いた。


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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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