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相模原障害者殺傷事件を題材した映画「月」を観て。

映画が好き。
でもラブコメとかSFとか、ハリウッド大作みたいなものには全然興味なくて、昔からドキュメンタリーとか戦争系とか、重めの作品が好きだった。
そんな私でも、この作品は観るのに覚悟がいった。

「月」

あの、相模原障害者殺傷事件を題材にした作品。
監督はオファーを受けた時、「これは撮らなければならない映画だ」と覚悟を決めたそう。主演を務めた宮沢りえも、「ここから逃げたくなかった」と言った。
当然のことながら、観た後晴れやかな気持ちになるわけがない。
内容も賛否両論あるだろう。
それでも、監督や出演者はじめ関わった人たちが信念を持って社会に問題提起するために生み出したこの作品から、観る側も逃げるべきではないと私は思う。


この映画が苦しく、問題作と言われるのは、自分たちが決して傍観者ではないことを突き付けられるからだ。

映画で事件を起こす、磯村勇斗が演じる「さとくん」は、本当に自分たちとは相容れない危険な思想を持った狂人なのか?
(余談だけど現実世界で事件を起こした彼の呼び名も「さとくん」だそう。細部まで事件に寄せていてかなり再現度が高く、その覚悟に頭が下がります)

さとくんの計画に気付いた、宮沢りえ演じる施設の非常勤職員洋子が、さとくんと対峙するシーンがある。
いつしかさとくんと洋子の対話に、洋子の心の声が加わり、さとくんとの対話ではなく洋子自身の心の対話になる。
「自分はどうなのか?」自身に向けた洋子の問いかけは、まんま観る側に投げられた問いであり、自分たちはこの闇の決して部外者ではなく、なんなら当事者であり、私たち一人ひとりの問題なのだということを突き付けられる。

見たくなかった、いや見ようとしていなかった現実。心の奥底に蓋をし隠していた声。それをオブラートに包むことなくまっすぐに差し出されて、ぞわぞわが止まらず目を背けたくなった。

こんな凄惨な事件、二度とあってはいけないけれど、でもじゃあ私たちはこの事件からちゃんと学ぶべきことを学び、二度と起こらないように活かすことが出来ているのか?
綺麗ごと美辞麗句で加害者を糾弾するだけでなく、彼を生み出した社会の問題であるということを、私たちもっと一人ひとりが気付き自分事として捉えるべきだと、そういうメッセージだと私は捉えた。

主演の宮沢りえはじめ、俳優陣の演技も本当に素晴らしくて、特に加害者役を演じた磯村勇斗。
そもそもこの役を引き受けることにも葛藤があっただろうに、この難しい役を見事に演じ切っていた。
そしてひときわ素晴らしかったのが、オダギリジョー。同じく宮沢りえとの共演だった「湯を沸かすほどの熱い愛」もすごく良い作品で、ここでもオダジョーがどうしようもないダメ男を演じていたけど、こういう優しくてでもちょっと世間の物差しからは外れていて的男性を演じさせたら、彼の右に出る人はいないのでは。

さとくんのストーリー、宮沢りえ×オダジョー夫妻の抱える闇、二階堂ふみ演じる施設職員・陽子の生きづらさ・・・
「生きる」とは、「人間」とは、なんなのか。
置かれている立場や生育環境や価値観によっても答えが違うであろうこの問いに向き合うところから、真の共生社会の一歩は始まるのかもしれない。

劇場1/5も埋まってなかったけど・・・こういう映画こそ、多くの人に見てもらいたい。そういう意識を持った人がいる国であって欲しい。

監督、スタッフ、出演者、覚悟を持ってこの作品に関わったすべての人に敬意を表します。

友人であり、重度障がい者支援という、まさに映画の登場人物側の世界にいるあすちゃんの感想記事が素晴らしく深く、色々考えさせられたのでシェアします。こちらも是非読んでみて。

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