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あまりに薄い日めくりの紙

祖父母の家と聞けば、薄紙の日めくりカレンダーを思い出す。
幼い頃、遊びに行くと必ず「昨日」の紙が残されていた。私がそれを剥がすのが好きだということを、祖父母は知っていたらしい。

大人になった今、この僅かな記憶を再現している内に、懐かしさではなく、漠然とした不安が押し寄せてきた。

***

祖父母の家は、ふたりで住むには広すぎる戸建てで、老人が上がるには急すぎる階段が続いている。私の親の部屋は、来客には埃っぽすぎる空間で、幼な子には古すぎるレコードが山積みになっている。

たったひとつ、間違いなく時が進んでいるものは、客間の壁に掛けられた、薄紙の日めくりカレンダーである。

明日の日付まで透けて見える今日の紙。
日めくりが突きつける抗いようのない事実を前に、年老いたふたりは、何を思うのだろうか。まだ若い私ですら、明日が平和だとは確かめられないのに。

千切り損ねた紙の名残が、首の皮一枚で繋がっている。
日めくりが惜しむ過ぎ去った日々を、年老いたふたりは、同じように記憶しているのだろうか。まだ若い私ですら、今朝の食事も覚えていないのに。


井上陽水は、日めくりを見つめる老体を前にして、「あなたの体よ、天までとどけ」としか祈れない子の気持ちを、自己嫌悪と歌った。

こうすれば良かったという思いは、どうしようもない思いだから、やっぱり明日のことを考えた方が良い。
昨日までのことを気にさせるのならば、日めくりの紙は綺麗に剥がした方が良い。
明日のことを考えたいのならば、日めくりの紙は薄い方が良い。
もっと先のことを考えたいのならば、日めくりの紙はもっと……

あまりに薄い日めくりの紙は、次の元号くらいならば知っているのだろうか。

(文・GunCrazyLarry)

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