2019年3月19日(火)

誰の思想は何主義といふことの一覧表が簡単に作られるやうになると、そこにあつた筈の思想が消え失せる危険を免れない。
吉田健一【わが人生の処方】(中央公論新社)p66

三段論法という懶け(なまけ)ものの救命具が発明されてからもう二千年はたつている。
同 p68

そういうことだった。何かを端的に言って何かを言った気になることだけは避けなければならないことが知れた。整理からなるべく離れた場所で生きていきたいというか、整理された結果零れ落ちる細部を拾い集めて生きていきたい。気がする。

という感じのことをやんわりと思いながら電車に乗っていると会社に到着したからプロジェクトの総括準備を粛々進めざるを得なかった、整理に継ぐ整理という感じだった。疲れている。何かが確定している状態も、何かが確定していない状態も不得意で、私の好きな言葉は「先延ばし」であるらしかった。延ばしているうちに人生が終わって、それでもいい人生だったと思えるような、そんな人生を送るにはどうすればよいのか。という抽象的なことだけ書かざるを得ないほど、何も起こらないというか、何に起こってもそれを掬い取れない日だった。強いて特筆することを挙げるならば、昼飯で買われて食べられた弁当が珍しく丼ものの形態をとっていた、どうして今日に限って丼ものが手に取られたか全くわからないが美味しかった。

という感じのことを書いたあとにこれはかいとくか、ということが起こった、長らく粛々と読み続けていた阿久津隆【読書の日記】が読み終わった。1105ページ。

#日記 #エッセイ #コラム #小説 #創作

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