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#0 プロフィール&先生になろうと思った理由

わたしってどんなひとかな。

周りの人にはよく
「まじめだね」
「がんばりやだね」
「やさしいね」と言われます。

最近は「芯があるね」と言われたりします。
わたしには自覚がありません。自分の芯なんてない、ちくわみたいにふにゃふにゃなもんだと思っていたから。
でも「こだわりが強い」とか「一度はじめたら最後までやらなきゃ自分を許せない」と言い換えたら確かにそうだなと思います。

自分で自分をどう思うか。うーん…

・人見知り。コミュ障。話下手。
 …一対一ならまだしも、2人以上の前ではうまく話せない。飲み会が苦手。

・そんなわけで学校も嫌いだった。
 …友達たくさんというよりは、数人の友達とひっそり教室にいるタイプ。学校にも居場所はなくて、自分にできる役割を必死に探して、自分に価値を見出そうとしていた気がします。

・人を喜ばせることが好き。人に迷惑をかけることが嫌い。自己肯定感が低い。
 …人の役に立つ自分は許せるけど、迷惑をかけてしまうと自分には生きてる価値なんかないと思ってしまう。だから迷惑をかけないように、役に立てるようにめちゃめちゃ頑張る。でもそんな完璧になんか生きられるはずもなく、そんな自分が大嫌いになってしまう…

・自分の居場所をずっと探している。
 …こんなやつでも生きていていい居場所を、家の中にも、学校の中にも、社会の中にも、人の心の中にも、そして最近はやっと"自分"の中にも…ずっとずっと探して続けているような気がします。思えば、物心ついた時から、家に居場所がないように感じていたせいかもしれません。


書けば書くほど「なんでわたしってせんせいになったんだろう…」と思えてくる、せんせいには不向きな性格のラインナップ…笑

そんなわたしでも唯一誇れるのは、人との出会いにとても恵まれたことです。

先生になろうと思ったきっかけは、わたしが今まで出会ってきた、私を支えてくれた先生たちをみて憧れたから。でも自分に先生ができるとは思っていませんでした。
教員採用試験を受けようか迷っていたとき、大学でお世話になった先生の言葉が最後の後押しになりました。
「あなたみたいな人が学校現場にいてほしい。自分が受け持った学生の中でも、あなたにはここ数年で一番、素質がある。絶対、あなたを生徒が待ってる。できるかできないかはやってみないとわからない。まずはやってみてほしい」

そこから2年間、試験に落ち続け、バイトを転々としながら食い繋いで、3度目に晴れて憧れの「せんせい」になれたのでした。

当然、試験に受かっても、自分にせんせいが務まるとは到底思えませんでした。嬉しさよりも不安の方がずっとずっと大きかった。


でも、わたしと同じように居場所がないと感じている子たちが学校にはたくさんいる。
だから、その子たちに会いに行こう。
わたしが居場所になってあげたい。
話を聞いてあげたい、そばにいてあげたい。
いっしょに考えて、いっしょに気持ちを分かち合って、苦しさはいっしょに持ってあげたい。
自分がして欲しかったことを、今度はわたしが未来に出会う子供たちにしてあげよう。



そんな気持ちで、わたしはせんせいになりました。
毎日自転車操業で、朝7時とか7時半とかに出て夜9時に帰るのが当たり前(なんならもっと遅い)の過酷な日々でした。泣いたこともあったし、すごく大変だったけど、それを上回るくらいに楽しかったです。
かけがえない生徒たちに出会えて慕ってもらえて「授業たのしい!先生好き!」って言ってもらえて、「先生の、ファンです♡」なんて言ってくださる保護者の方にも巡り会えて、いろんな先生たちに支えられて、面倒を見てもらえて…
ああ、せんせいになってよかったなぁ、きっと私の天職だったんだなぁと心から思いました。


この日々が続けばいいなと思っていた矢先、限界は突然訪れました。
いや、はなからもう限界なんて超えていたのだと思います。自分のキャパの10万も100万もこえた仕事を、わたしは3年、休まずやってしまいました。自分よりも目の前の生徒の方が大事だったから、休み方すらも忘れていたのです。

倒れたその日は、ごくごく普通の月曜日の朝でした。


つづく…

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