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時代に振り落とされないように勉強しなきゃという焦り

とても暑いですね。
暑い以外のことは考えられず、少しでも家を冷やそうと、朝起きたら窓や外壁に水をまくことが日課になりつつある朱野です。

そんな夏、集英社新書プラスで気になる連載がはじまりました。

書き手は藤谷千明さん。『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』の著者としても有名です。

「家族ではない人たち」と暮らすためのインフラがまだ整っていない中、それをどう乗り越えていったかがリアルにユーモラスに書かれています。血のつながった親子や、生計を共にするカップルで暮らしていると、なあなあになりがちな、誰かと暮らすことのメリットや、他者を尊重して共同生活を営むスキルともしっかりむきあった本です。

新刊は『バンギャルちゃんの老後 オタクのための(こわくない!)老後計画を考えてみた』で、『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』のその先どうする?の現実とがちっとむきあった一冊。上の世代の介護はしても下の世代に介護を頼むことなど考えられない就職氷河期世代の老後をどうする問題にとりくんだ一冊でもあります。

みんながなんとなく見ないようにしているけど、ちゃんと見なきゃいけない。そんな問題の現場に躊躇いなく踏みこんでいく藤谷さんのリアリストなところと、必要な情報をうまくとれない人に優しいところが文章に出ていて、読んでいるだけでなんだか救われます。

ご紹介が長くなってしまいましたが、そんな、私にぶっささりまくりの御本ばかり書かれている藤谷さんの新連載がこちらです。

どんな連載かは、ぜひ本文を読んでほしいのですが、一部引用しておきますね。

実は、私が気になっているのは、大学に全員入れますよ〜って世の中なのに、「大学じゃない大学」、つまり「自称大学」が巷で目立っているような気がしているのです。巷っていうか、インターネット? たとえば、リベラルアーツ大学、中田敦彦YouTube大学、田端大学、イケハヤ大学、日経テレ東大学などなど……。「大学」と冠する、YouTubeチャンネルやオンラインサロンがここ数年で増えているような気がします(気がついたらなくなっている「大学」もあるけど)。そりゃあ遡れば、「ハンバーガー大学」だとか「ペンギン音楽大学」だとか、学校法人じゃないけど「大学」を名乗っている教室は少なくなかった。ただ、こんなに「自称大学」が跋扈する時代ってこれまでにあったのでしょうか。だって、「自称じゃない、〈ちゃんとした〉大学」に全員入れる時代なんでしょう? 

「YouTubeが大学になる(かもしれない) 第1回 大学全入時代の〈自称大学〉」(藤谷千秋)

連載がこの先、どこへ向かって進んでいくのかはわからないし、たぶんこの連載を読んでいろんな人生を生きてきた人たち全員が違う感想を持ってもおかしくないと思うのだけれど、第一回を読んで、私の頭に湧いてきた言葉を書いてもいいですか。

就職氷河期世代で、2002年卒の私が就職活動をしていた2001年は25歳未満男性の年平均失業率の失業率が12.4パーセントと過去最悪でした。男性で12.4パーセントということは、女性はさらにやばかったはず。バブル世代以上の女性たちが(一般職で、しかも寿退社させられたということがあったにせよ)8割が学校を卒業してすぐ正社員職につけているのに比べ、就職氷河期の女性たちは一般職にさえつけず、正社員になれたのは5割か6割ほど、非正規職についた人が3割、無職が3割でした。
就職氷河期世代じゃないのでピンとこないという人は、同級生女子の半数が(低賃金でもいいと覚悟しても就活したとしても)正社員になれない、という状況を想像してみたらいいのではないでしょうか。人生そこからのスタートです。東大卒でも正規職につけない状況なので、言うまでもないことですが、高卒者はさらに苦しい状況でした。
ちなみに現在は新卒者が「正社員になれないという不安を感じたことはない」というほど、少なくとも新卒の雇用は回復しています。今は女性も総合職に就くことが普通なのでバブル期以上といってもいいかもしれない。

就職氷河期世代が直面した困難の一つに、初職が劣悪な環境の会社であることが多かったため、他の世代が新卒から当たり前のように受けられたまともな会社の研修を経費で受けられなかったことが挙げられます。なので、低賃金なのにもかかわらず、自費で学ばなければならない。

これは労働経済学の論文にも載っていることですが、学歴のあるなしだけでなく、就職してちゃんとした研修を受けられたかは、その後の所得格差に永続的に影響します。ものすごい努力をしなければその差は埋められない。そのハンデをしょって生きてきた同世代には、だから、まともな会社にたどりついた後もものすごい勉強している人が多いです。

先月、同世代の友人たちと集まったのですが、「筋トレの休憩時間の数分間で勉強してTOEFLのスコアを上げている」とか「深夜まで残業の帰りの電車でスマホで勉強をしている」とかストイックすぎて驚きました。大河ドラマの撮影時、一人だけ本物に近い総重量30kgの甲冑と刀をつけて縦横無尽に演技をしていたという藤岡弘。のことを思い出しました。そこまで強くなる必要ある?みたいな。

でも、私も「急売れ本」を読んだ年下の方から「朱野さんは自分に厳しい」と指摘されたので、藤岡弘。に見えているのかもしれない。社会から切り捨てられた経験を新卒のころにしているから、いつまた切り捨てられるかわからない。その恐怖が抜けないと同年卒の友人も、同年卒の編集者さんも全員いいます。全員です。

でも、さいきん他の世代の人たちも同じ焦りに到達してしまったのではないかと感じます。「もしかして自分も、切り捨てられる側になる可能性があるんじゃないか?」ということに気づきはじめたのかもしれません。客観的に見れば彼らは安泰です。私たち世代のように、内定ゼロから這い上がるための転職のせいで、退職金がなかったり、あるいは積み立てがブツ切れになっているわけでもない。でも内部労働市場で安泰に生きているはずのその人たちが、もはや新卒で入った会社の研修だけを受けていてもだめなのではないか、「30kgの甲冑と刀を身につけてないとやばいんじゃないか」という強い不安に駆られている。自分だけは時代に振り落とされないようにするために、どうすればいいか、全員が考えだしている印象があって切ないです。

でも、この安泰は長く続かないと思い知らないと必死に勉強しないのが人間だ、というのもたしかなんですよね。私だって「新卒で入社すれば一生安泰」だったら勉強なんかしないと思います。社内でいいポジションを取ることだけにきゅうきゅうとして、上司に媚びるためにゴルフに行っていたかもしれない。フリーランスの経費は申請すれば(会社員と同じように)全額戻ってくるのだと勘違いして「ずるいな」とかX(旧Twitter)でつぶやいていたかもしれない。そういう人を見ると「いっしょに脱・社畜して、外部労働市場で楽しく戦いましょう」と唆したくなりますが。

でも、生きていくための必要な情報を、そこまで必死にならなくても、みんなが得られる社会であってほしい。そう願う自分もいる。

そんなことを考えながら藤谷さんの連載を読んでます。