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七五三と次女

「心電図、エコーともに異常無しです。次の検査は来年の同じ月にしましょうか」

愛知県の中でも有名な大学病院の心臓専門の先生が言います。

8月の頭に、次女の川崎病の定期検診へ行ってきました。次女が川崎病を発症してから2年目になります。川崎病の定期検診は約5年間続けられます。

来年もお盆が来る前のこの時期に、予約をお願いしました。

今回は感染原因は不明、70人に約1人が感染・発症する『川崎病』にかかった次女の話と翌年七五三のお祝いをした話をしたいと思います。

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次女が川崎病を発症したのは、2019年の7月中旬。忘れもしない土曜日です。寝起きで発熱していましたが、元気で食欲もあるので、小児科の受診は行きません。(かかりつけの小児科は土曜日は午前中のみです)

38.8〜40℃を行ったり着たりしていますが、まだまだ元気。寝付けない時には解熱剤を使用して、過ごしました。

なんとなく容体が変わってきたのは、日曜日の夕方、お昼寝から起きてからです。食欲もなく、トロ〜ンとした目つきで一点を見つめるようになり熱も一向に下がりません。飲み物はかろうじて飲んでいます。

当時1歳4ヶ月ほどだったため、移動する際は抱っこ紐に抱かれていました。ですが、いつものように手足を目一杯広げて指しゃぶりをせず、小さく丸まってチュッチュ、チュッチュと指をしゃぶっています。

その姿に「只事じゃないかも」と感じ、私はドキドキしてしまい、うまく眠れません。

我が家には当時3歳の長女がいます。病院に行く際には、祖父母にお世話をお願いしていました。

祖父母が到着し、予約時間に小児科に滑り込みます。受付で症状を説明し、待合室へ。2019年7月は、すでに新型コロナウイルスが上陸していたものの、小児科に人が溢れていることは少なく、スムーズに受診してもらえました。

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「よろしくお願いします」

入室して私が先生の前に座ると、「熱が金曜日の夜から下がらない?」と、受付で記入した症状を確認しつつ、こちらを向いた時、先生の眉間にふっとシワが寄ったのを覚えています。

多分、それほど次女の体調が見るからに思わしくなかったのでしょう。

「熱はどのくらいですか?一番上がった時は何℃でしたか?」「解熱剤は何回使用しましたか?」「心拍を確認しますね」「背中も見せてください」。

一通り、診察し終わったあと、先生は次女の手先やBCGのあと、口の中を見ます。

「はっきりとは断言できませんが、川崎病の可能性があります。紹介状を書きますので、一旦自宅に戻り、準備を行ったら、午後すぐに大きな病院へ向かってください。おそらく入院になるかと思います。病院はどちらが宜しいですか?」

川崎病...?

「わかりました。あちらの病院でお願いします。失礼します」と、先生に伝えて、招待状をもらい、自宅へ帰りました。

入院がどのくらいなのか、川崎病とは何かもわからないまま自宅で祖父母に事情を話して、準備をします。大学病院の予約時間は迫っており、バタバタとそのまま病院へ直行。入口で車を降りた時に、長女が「ママ!ママ!やだ!」と言ったきり、2週間の入院になりました。

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川崎病は何かしらに”感染”することで、免疫が反応し、血管が炎症する病気です。今だに原因不明。判断が難しい特徴を持っています。

・高熱

・手先の皮がめくれる

・BCGの後が赤くなる

などの身体的な特徴によって、判断されます。(判断基準はそれだけではありません)

小児科で診察してもらった時点では、次女の体には特徴が現れていませんでした。

川崎病と判断され、治療が開始されるには血液検査をした上で、身体の特徴が現れるのを待つしかありませんでした。数時間経つにつれて、該当する特徴が1つ、また1つと現れてきます。

4つ目を確認した時に、担当の先生から、「明日から治療を開始しましょう」と言ってもらい、ホッとしました。

翌日からガンマグロブリン(γ-グロブリン)が投与され、熱が下がり、症状は落ち着いていきました。次女はありがたいことにすぐに効果が現れ、再発もしていません。

治療から翌日まで、ほとんど起きることなく眠り続ける彼女の姿を見て、想像以上に体力を消耗していたのだと、心が痛かったことを覚えています。

しかし、ここまでだけでは安心できないのが川崎病。治療を行うことで炎症が治まったとしても、「冠動脈瘤(かんどうみゃくりゅう)」を引き起こす可能性があるためです。

冠動脈瘤は心臓に酸素や栄養を送る「冠動脈」の内側に水脹れや腫れなどの変化が起こり、最悪の場合、心筋梗塞を起こしてしまいます。炎症が治まった後も、この冠動脈瘤が現れていないかどうか確認する検査が続きました。

毎日検査を行い、エコー写真で異常がないことを診断してもらった上で、約2週間後、退院しました。そして、今日まで川崎病の再発、冠動脈瘤の発症はしていません。

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それ以降、再発や大きな病気のなく、昨年、3歳を迎え、七五三を行いました。七五三とはご存じの通り、子供の成長を願う奉告祭です。

「無事に3歳を迎えたのかー」と思うと同時に、「でもあの時(川崎病)、治らなかったら、この子は生きていられなかったかもしれない」とも思いました。

川崎病が新しい病気として認知されるようになったのは1960年代です。まだまだ新しい病気。それまで、助からなかった子もいたのかもしれません。

次女が今、元気でいれるのは、偶然ではありません。この時、初めて「周りに生かされている」と感じたことも鮮明に覚えています。

あの日、室内に入るや否や眉間にシワを寄せて、診察をしてくれた先生は次女が今もお世話になっている病院からたまたま来ていた先生でした。

心配そうな私に「ガッハッハ!大丈夫、見てみて。ほら。BCGの跡が赤くなり始めてる。川崎病と判断できれば、すぐ治療できるから」と励まし続けてくれた大学病院の先生。

今まで同じ症例で入院した子供たち。ご両親。

急な入院でもすんなりと受け入れてくれた両親。2週間おじいちゃん、おばあちゃんと笑顔で過ごした長女。

みんながいて、次女は今も笑っています。ありがとう。




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