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教師と「空気」とは その2

教師と「空気」とは その1 の続きです。ちなみにこれはは先日、世間学会で発表したものの抜粋です。

空気の特徴は単に自分が思っているだけでなく、他の人も同じことを思っている点にあります。つまり複数の関係者で重複する知識としての知る方法。これが日本独特のナレッジシステムです。

では、学校現場における重複する知とは何か。しかも、教師の間で暗黙のうちに重複している知とは何か。

オハイオ大学の日米の比較哲学を研究されているトーマス・カスーリス教授は日本とアメリカ(にだけ限定されないが)特にこの二つの国に特徴的にみられる「再帰的」な知識があるといいます。特に日本の場合それは目に見える形ではなく、難解で掴みどころがないが、その中にいる人はそれが何かがわかるとしています。

どうですか?私たちが知っている「空気」の概念にとても近いと思いませんか。

ちなみにアメリカなどの場合は論理的で誰がみてもわかるものが知識とされていて、それに個人がそれぞれアクセスする形で、重複しません。平等・権利の概念とも一致します。

注意しなければいけないのは、これはあくまでもこれは文化的「傾向」の話であって、一般化しているのではありません。アメリカにも重複する知はありますし、日本にだって誰がみてもわかるものが知識でもあります。ただ、どちらが優勢かという話です。

この意味での教師の場合における「空気」の一つの例をあげます。
これは北海道の公立中学校の森万喜子校長が日本教育新聞に寄稿された文章です。(ご本人に許可をいただいて使用しています)

森校長は、学校が変わらない要因の一つとして教師が自分が経験したことを再現してしまいがちであることとし、それを「再現モンスター」と名づけています。ぜひ詳しく読んでみてください。私も学校で新しいことをする難しさは身に染みて感じて居ました。皆さんも心当たりがある方多いと思います。

日本教育新聞 https://www.kyoiku-press.com/post-series/series-254454/ 

コロナが世界を襲った2020年、未曾有の出来事で学校教育が問われた時でさえ大きな変化はなかった学校現場や「通常運転」崇拝に対する私の驚きは当時のnoteにも記録しています。(以下参照)

さて、学校、特に教師の間にある「空気」について少し触れましたが、次はそんな空気を生み出している教師の間にある「世間」について考えます。

教師と「空気」とは その3 に続く!

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