「自由貿易」とは強過ぎる巨大企業が大多数の中小企業を合法的に食い殺せるようにするための言葉である

自由は人間にとってとても重要だ。
自由に意思決定が出来ない人の事を一般に奴隷という。
人が人らしく生きるためには、自由であることが必要なのである。

自由という言葉にはそれほど重要な意味がある。
だが、それを利用した言葉もたくさんある。
自由という言葉には、それだけの重みがあるからこそ、プロパガンダとして人々を騙すためによく利用される。

「自由貿易」という言葉はとても危険な言葉である。
まるで「自由に何でもできるんだ!希望にあふれた貿易形態なんだ!」という印象を与えてしまいがちだが、誰もが何でも好き勝手を出来る貿易を意味するため、それは実質的に強者だけが強者の論理で強者の好きなように出来る貿易が「自由貿易」の実態である。
つまり、「自由貿易」の実態は、「強者が弱者を無法に喰い散らかすことが出来る弱肉強食の貿易」のことである。

世の中の多くの者は弱者である。
恐らくこの記事を読んでくれている人はほぼ全員が弱者であろうし、筆者ももちろん弱者である。
市場取引において全ての人が共生して生きていくには、全てを貪りつくそうとするような強者が居ない状況であるか、何かしらのルールによって弱者も共存できるルールを作ることである。

何のルールも規制もない市場では、強者だけが生き残ることが出来る。
強者は自分の都合の良いルールを弱者に強いるようになり、強者はさらに強くなる。
弱者はさらに不利になり、やがて弱者は強者に潰されるか、買収されて吸収される。
これではまるで、流血だらけの弱肉強食のジャングルの中と変わらない。

このような市場こそが、「自由貿易」なのである。
もし仮に市場のルールを決める際に、最も強い者が「俺にとって最も有利な条件である、何をしても許される弱肉強食を市場のルールにしよう」と提案したら、あなたはどう返答するか。
もちろん、拒否するだろう。
しかし、「皆が公平で自由な自由貿易をルールにしよう。誰もが自由に幸せになれるルールですよ。」といって提案してきたら、あなたはどう思うだろうか。
自由貿易とは何かを知らなければ、自由という言葉の耳障りの良さに騙されてしまうかもしれない。

左翼リベラルはいつも必ず世の中のルールを破壊するルールを提案するため、いつも必ず耳障りの良い言葉を用意して提案してくる。
耳障りが良いからといって、そのようなことには騙されず、中身が何かということに常に注意を払おう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?