「無理心中」というのは事実を大きく捻じ曲げたプロパガンダである

「無理心中」という言葉をご存じだろうか。
典型的な例としては、一家の大黒柱たる父親が事業に失敗し、借金まみれになって経済的に苦しくなり、「家族みんなで自殺しよう」ということで、父親と母親だけでなく、その家族の子供たちも含めて、家族の皆が同時に命を落とすことをいう。

この典型的な例をもってしても、これを「無理心中」と表現するのは事実を大きく捻じ曲げたプロパガンダといえる。
借金まみれになった父親本人は自己破産するなり、事業を立て直して借金を返すなど、方法はいくらでもある。
仮に自殺を選んだとしても、家族がそれに付き合う必要などない。
百歩譲って妻である母親も父親と一緒に自殺を選ぶ可能性もなくはないかもしれないが、女性は一般的に精神的にたくましく、夫が居なくても強く生きていくものである。
特に子供がいる母親であれば、子供を残して死んでしまうような選択をすることはほとんどないだろう。

千歩譲って、父親と母親は共に自殺という道を選んだとしても、子供たちには子供たちの意思がある。
子供は3歳くらいともなると明確な意思を持っており、意思の詳細を聞いてみると立派な大人顔負けのしっかりした考えを持っていることも少なくない。
そんな子供に「両親が自殺を決めたから、あなたたちも当然に私たちと一緒に死ぬのがあなたたちにとって一番良い」という考えを押し付けるのは、優生学思想の傲慢な大人の考えである。
仮に子供が了承したとしても、日本の法律的に一般的に15歳未満の子の意思表示は無効であるし、経験則的にも真摯に状況を理解した上での意思表示ではないだろう。

つまり、「無理心中」と言われる場合に一緒に「心中した」という扱いを受ける子供たちは、「単なる殺人」なのである。
子供たちは「親が死んでしまっても自分たちは死なずに生きていきたい」という意思が無視されているにもかかわらず、「無理心中」という謎の言葉で子供に対する殺人を美化して、殺人行為を隠蔽しているのである。

この無理心中という言葉の存在ゆえなのか、親の子に対する優生思想が存在するゆえにこの言葉が生まれたのかは定かではないが、少なくとも、親が子の命を絶って良いというような正当な理由がないにもかかわらず、それを正当化するような思想がそこにはある。

この思想にまつわる様々な深層心理が日本社会に巣食っている。
さらに、現代の日本社会には、余計なお世話でしかない「無理心中」が多すぎるということを付け加えておこう。


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