武道における戦後洗脳教育の爪痕

「戦後のGHQによる占領政策によって日本の歴史教育は捻じ曲げられた」と言われて久しい。
いつしか、「憲法9条を改正することで日本が軍隊を持つことは日本を軍国化に進めるから、憲法9条を改正してはいけない。憲法9条は平和憲法だ。」という謎の思想が蔓延するようになった。
この謎の思想は言い換えると、「戦争というものは日本が仕掛ける戦争しかないから、日本が軍隊を持たなければ世界は平和になる。外国に戦争を仕掛けようとするような国は日本以外にはなく、日本はどこかの国に攻め込まれることはないから、日本に軍隊は必要ない。」という謎の理論を展開している。

いちいちこれに反論を唱えるのも馬鹿馬鹿しいが、1945年以降、多くの地域で戦争が起こっているし、その戦争は別に「日本が攻め込んだから」起こっているわけでもない。
たまたま日本に攻め込んでこなかっただけで良かったものの、そういう思想の人に「もし日本に攻め込まれていたらどうするんですか?」という質問を投げかけると、大抵の場合は発狂して、質問した側をありとあらゆる方法で攻撃し始めるという珍事件に発展する。

正にこれと同じ構図が現代の武道の世界で展開されている。

現代の武道の多くは「勝ち負け」がない。
つまり、スポーツであれば、どちらが勝つかを競い合って、必ず勝者と敗者が生まれるわけだが、武道の世界では「勝ち負け」を決めると本当の殺し合いになってしまうため、「試合は(殺)し合い」を意味するため、試合という勝敗を決めることをしないのが常である。
剣道や柔道に試合があり、勝敗があるのは、剣道や柔道をスポーツ化し、相手を殺してしまうような技の数々を禁止しているが故である。

先日、筆者がとある武道の稽古をした後に、稽古仲間と談話をしていた時に、ある者が妙な発言をした。
「〇〇さんは技が痛い。痛くする奴はへたくそだ。下手だから力任せに痛くしてくるんだ。そんなことも分かってない〇〇さんは馬鹿だ。」というのだ。
筆者はこれを聞いて、「まるで憲法9条論者のようだ」と思ったわけである。
しかもこれは単に、戦後教育洗脳をされた教育現場の話ではなく、何十年もその道の武道を極めてきた5段や6段と言った超ベテランの教師レベル、師範レベルの人物が語っているので筆者が驚いたのだ。
彼らの技はかかることがないものなので、皆、「かかったフリをしてかかる」といういわゆる「忖度技」になっているのだが、何度か試しに筆者が自然に反応したため、全く技がかからずそのままきょとんと立っていたことがあるのだが、彼らは決まって、「何やってるんだ!」と謎の逆切れをして、筆者に殴りかかってきたのである。
つまり、「平和憲法が通じなければ武力行使をする」という裏技を彼らは身をもって示してくれた。

武道の中には、古来より発展し、戦前までは当然に残っていた殺し技が多く残っている。
それらの技を使うと、本当に相手を殺めてしまうので、実際には使わないが、技としては残っているのである。
それらの技の術理は残っていて、その手を緩めたり、それを一部使うことで、相手を制する技として現代の武道に残されていることが多い。
つまり、現代武道の原型はほぼ全てが「痛い技」である。
その術理を全く理解していないにも関わらず、現代武道をする者の多くは「全ての技は痛くないものであり、痛くない技によって、相手を制し封じることができる」と思っているということなのである。

もちろん、相手に痛みを感じさせずに相手を崩し制する技はある。
しかし、そのような技も基本は「痛い技」が原型になっていることがほとんどだ。
つまり、「痛い技」を知らなければ、技の原型を理解できず、それを更に発展させた「痛みを感じさせずに制する」ことなど到底できない。
「戦争なんてない。軍隊なんて必要ない。軍事兵器など必要ない。人を殺してしまいかねないような武器ではない平和的な武器(=話し合い?)で相手を制することが出来る。」と考えるのは、朝日新聞をはじめ、多くのメディアや一般人にも浸透しているようで、現代武道をやっている者の頭さえ、支配していることを実感したのであった。


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