【物語】少女嵐と七つの悪虐

 平成最後の夏、その台風は奇妙な航路で日本を通り過ぎた。

 すなわち、関東から上陸したのち、四国方面へ抜けていく。

 いつもの台風の逆と言える。

 そんな台風が、東海地方のとある田舎町の、産科医院を駆け抜けたその夜に、私はそこで産まれたのだった。

 嵐が母を通り抜けていった。

 小山内嵐。それが私の名となった。


 私は幸福であった。

 そこそこに裕福な家に生まれ両親の愛情を一身に浴び。

 十七歳現在、地域では一番の進学校に通っている。

 お手本のような幸福だが、実際、私自身も幸福を感じている。

 人に愛されることを知っていた私は、人を愛することも知っていた。

 私は人を愛し、ホームセンターを愛し、電動工具を愛し、インパクトドライバを愛した。


○傲慢

 嵐。

 私の名だ。

 十七歳の夏。

 令和十七年の夏。

 また、あの台風がきた。

 日本を東から西へ抜けていく奇妙な台風。


 その台風は伊豆半島から上陸し、瀬戸内に向けて進む予報。

 夏休みに至ってなお止まぬ部活動、暴風警報はまだ出ず、それでも、朝、テニス部部室に顔を出したのは私と一人の先輩だけであった。

 小宮山伊津佳(こみやまいつか)先輩。

 六文字に渡る長い名前の部長である。

 文武両道にして才色兼備たる私、にも、負けず劣らずの才媛。組むべくして私とダブルスを組む。

 警報は出ないものの相当な暴風、それでも先輩は高校最後の大会を目前に控え、どうしても練習したく、と、それを察し先輩のために出てきた私。

 私が部室に入ると、先輩はすでに運動着に着替え、窓のカーテンを開き、外を眺めている。

 傘が意味をなさなったのだろう、濡れた制服が脇に干され、水滴が落ちていく。

 板張りの床を濡らさぬよう、タオルが水滴を受け止めていた。

 四畳半ほどの狭い部屋、窓は締められ、湿度は高く。

「おはようございます、イツカ先輩」

「おはよう、嵐。来たのね」

「まあ、優等生なんで」

「お互い大変ね」

 強くなりゆく雨音、風の音。

「先輩、これ、今日は誰も来ないですよ」

「うーん、どうする? 二人か」

 私は短くため息をつき、着替えを始める。

 濡れた制服を脱ぎ、床にタオルを敷く。先輩の制服の隣にかける。

 カバンから、着替えの入ったビニール袋を取り出す。

 どうせ先輩しかいないし、いいか、と。

 濡れた肌着、下着まで、脱ぎ、替えのものととりかえる。

 ちょうど私が何も着ていない状態になったところで、イツカ先輩と目が合った。

 律儀なことに、先輩はさっと目をそらす。


 数分前よりも台風は確実にわが町に近づき、その威力が聴覚から私たちを揺さぶる。


 練習、を、どこでするのか。

 とりあえず、私も、運動着を。

 あらし。

 私の名。

 冷静と秩序の美少女たる私には似合わない、荒々しい名。

 先輩は私に背を向けたまま、その黒く長くまっすぐな髪を一つに束ねる。

 あらし、それは無作為の暴力。

 あらし、偶然の破壊。

 先輩はスマホを眺め。

「あ、でた、暴風警報。こりゃ解散か」

 嵐。

 本州を横断する愛情。

 勢いを増す暴風に伴い、わが鼓動も高まり。

 私は自身のラケットを握る。

 近くの川の増水、避難を勧める警報が、先輩と、私のスマホから鳴り響く。

 嵐たる私は、右手に握る、そのラケットを振り上げ。

 ラケットの"みね"を先輩のうなじに向けて。

 ご、という音とともに先輩は崩れ落ち。

 ああ、ラケットは峰打ちの方が痛いんだ。


 私は、人の身でありながら天災を騙る。


○貪欲

 自身の呼吸の荒さを、脳が客観的刺激として感じている。

 目の前に横たわるイツカ先輩を見下ろし、自分の中の感情を整理する。

 偶然の暴力たる嵐によって先輩はそこで人形のように横たわる。

 これは他ならぬ暴風という愛情。私の持ちうるありったけの親愛の暴走。

 さて、どうしたものか。

 呼吸を整え、冷静さを取り戻そうとするが、外の強まる風雨が、私の精神を荒立てる。

 カーテンを締める。

 先輩の胸に手を当てる。

 鼓動を感じる。

 先日ホームセンターで買った荷造り用弱粘着テープで先輩の手足を縛り、口をふさぐ。

 私はまだ乾かぬセーラー服を着、それらしく鞄を持ち、部室を出る。

 扉の南京錠は取り外し、中に放り込む。

 先日ホームセンターで買った自前の南京錠で施錠する。

 部室の鍵を職員室に返却し、顧問の教員に女子硬式テニス部は全員帰宅する(というか二人しか来てない)ことを告げて、部室に戻る。

 自前の南京錠を今度は内側からかける。

 外に出たことで再び濡れた制服が、肌にまとわりついた。

 煩わしい。

 制服を脱ぎ、また濡れてしまった肌着下着も全て脱ぐ。

 もう着るものがない。

 が、見る人もない。

 先輩は未だ横たわり、目を覚まさない。

 誰も見ていない。

 私はバッグから電動工具の充電器を取り出し、コンセントにつなぐ。

 18Vのバッテリーを充電する。

 先輩をどうしてしまおうか。

 私は先輩が好きだ。

 自分のものにしたいと思う。

 イツカ先輩は、まず、見た目が綺麗だ。

 大きくくっきりとした眼。高く下向きの鼻。

 整った眉は細くそれでも濃く力強い。

 睫毛も長いし、脚も長くスタイルがいい。

 先輩は頭もいい。

 関西の方の国立大学を受験するという。

 勉強以外にも、いろいろなことを知っている。私がホームセンターで見かけた食虫植物の鉢植えの話をしても、ついてきてくれる。

 優しい。きっと優しいご両親に愛情たっぷりに育てられたのだろう。

 ああ、でも、全て私も持っているものだ。

 見目麗しく、頭もいい。

 三文字の苗字すら私は持っている。

 三文字の名前は長すぎるからいらない。

 組むべくしてダブルスを組んだ私と先輩。

 動物の本能として、恋愛感情とは『ないものねだり』ではないのか。遺伝子の補完によってより強い子孫を産むべきではないのか。

 ああ、本能に反し、私は私を愛している。

 一方で、理性を超越した本能の暴走が、先輩を人形にした。

 横たわる先輩。

 どうしてしまおうか。

 ああ、先輩が、目を。

 どうしてしまおうか。


 私は、手にした物をなお求む。


○嫉妬・憤怒

 先輩の目が開いた。

 大きく、くっきりと、凛々しく愛らしく。

 手足は縛られ、口は塞がれ。

 唯一自由であるその眼球が、くるりと周囲を見渡し、私を捉える。

 ああ、そうだ、私は裸だった。

 状況をさっぱり理解できていないその目。

 市内の河川は着々と水位を増し、スマホからは警報が鳴り響く。

 苛烈な暴風雨に紛れ、うっすらと、町内放送も聞こえる。

 全てがめちゃくちゃだった。

 横向きに寝ている先輩の顔を覗き込むように、私は語りかける。

「先輩、改めまして、おはようございます。暴風警報が出たので練習は中止です。部室の鍵は返却し、私たちはもう帰ったことになってます」

 先輩の聞きたいことはそれじゃない。

 わかってる。わかっていますよ。

 私は、今度は先輩の背中側に回り、正座する。

 先輩の頭を、自分の太腿にのせる。

 先輩の右耳、後頭部などを見る。

「大丈夫ですよ。私はね。先輩がね、好きなんです。ほら、外は台風で。私は嵐なんです」

 ぽん、と先輩の頭に優しく手を置き、そっと撫でる。

 震えている。

 先輩は私を恐れている。

 私は嵐。理不尽な暴力にして愛情。

 しかし人よ、人は災禍を耐え、その後立ち上がる生き物である。台風一過の青空を仰ぎ、明日をつなぎとめる。そういう生き物であろう。

 イツカ先輩、貴方は私を恐れなくていい。

 髪を撫でるごとに、先輩の震えは増していくように思えた。

 対話。そうか、対話だ。

 私は先輩の口元のガムテープを剥がす。

「先輩? 先輩はね、怖がらなくていいんですよ」

「何……どういうことなの」

「私にも分かりません。私は先輩が欲しいと思った。先輩は嵐に魅入られた。恋愛感情以外の何物でもない、それがここにある、だけです」

「なんで、裸なの」

「雨に濡れたからです。どうして先輩は服を着てるんですか?」

 私は先輩の頭を床に降ろし、自身の鞄からハサミを取り出す。

 近所のホームセンターで買ったばかりの、真新しいハサミ。

 先輩の運動着を裂く。

 下着、肌着を裂く。

 靴下は裂く意味がないので優しく手で脱がす。

 先輩? 泣いているんですか?

「ね、嵐は服を着ないんです。先輩も服なんて着なくていいでしょう」

 先輩は泣き止まない。

 恥ずかしいのかな。

 私と先輩はそれこそ生き写しのように美しく、そう考えれば、これは鏡のようなものだ。

 他人の裸を見る、他人に裸を見られる、これらよりも案外、鏡に写った自分の裸を見ることの方が恥ずかしいのかもしれない。

 ふと、想像する。

 大きな鏡の前で私と先輩は愛し合う。

 4人の私が愛し合う。劣情。

 先輩、お願い、泣き止んで。

「先輩、どうか泣かないで。私は先輩が欲しいだけ。傷つけるつもりはないんです。台風が過ぎるまで。先輩が欲しいだけなんです」

 先輩の肌を撫でる。

 先輩の怯えは収まらす。一層に増していくようにも思えた。

 そして私は仕方なく、先輩の拘束を解く。

 手のテープを。足のテープを。

 その髪を束ねるゴムを。

 と、途端に、先輩はドアの方向に駆け出し。

 あーあ。逃げちゃった。

 しかし、丸裸の女子高生が南京錠を、扉を、どうにかできるはずもなく。

「ダメですよ。先輩」

「なんで……」

 扉を、錠を、ガチャガチャ、ガチャガチャとしながら、再び、泣き崩れる先輩。

 先輩、私はね、先輩が少しでも安心できたらいいなと思って、テープを解いたんですよ。

 途端、強い風の音。台風は、まさしく今、この町に最接近した頃か。

 ガン、と何かが外から壁にぶつかる。

 風に飛ばされた……木の枝か何か?

 水気の多い、木材の音。

 ご、と何かの音。

 風に飛ばされた……看板? 屋根?

 建材の音に聞こえた。

 暴風という暴力。

 いけない、いけない人だ。

 私は18Vのバッテリーを充電器から取り出し、棚から愛用のインパクトドライバのケースを取り出し。

 先輩がこちらを見ている。怯えた目で。

 見て。もっと。

 インパクトドライバにバッテリーを取り付け。

 引き金を引けば、ぎゅいいいいい、と軽快な音が鳴る。

 アタッチメントはプラスドライバ。

 40mmの皿頭タッピングビスを鞄から取り出し、三本ほど、咥える。

 一本は咥えず、インパクトドライバの先端に取り付ける。

 私は先輩の腕を掴み、部屋の真ん中に引きずり、放る。

 仰向けに寝た先輩を押さえつけるように、お腹の上にまたがり。

 ああ、先輩、さっきよりも怯えてる。

「そうですよね、怖いですよね。先輩は何も悪くないのに、これから痛い思いをするんです」

 口を開けば、咥えていた残りのビスが先輩の胸に落ち、肌の輪郭に沿って、床に転げ落ちる。

「でも、嵐ってそういうものでしょ」

 暴れ、抜け出そうとする先輩。

 火事場の馬鹿力なんて言いますけど、冷静な方が強いに決まってるじゃないですか。

「何、何をするの……?」

「先輩。いいから。見て」

 先輩の左手首を掴み、板張りの床に押し付ける。

「見て。先輩、そうじゃなくて。私じゃなくて、自分の左手。見て」

 インパクトドライバに取り付けられたビスの先端を、先輩の左手の手のひら。

 ちょうど生命線の真ん中あたりに当てる。

 先輩が首を振る。

 声にならない悲鳴があがる。

「見て。手のひら。ねえ。見て。床に、くっついちゃうんですよ。手のひら」

 ぐ、と、ドライバの引き金を引く。

 ぎゅいいいいい。

 肉というのは、こんな感触なんだ。

 木材とはまるで違う。

 先輩の金切り声、というよりは、もっと濁った、悲痛な叫び。も、嵐の、暴風の、その音にかき消され。

 左手をビス一本で床に固定されてしまった先輩。可愛い。

「先輩。先輩ね、先輩なんかいらないんです。私よりも年上で、お姉さんで。私よりも頭が良くて。先輩が受けようとしてる大学ね、私C判定なんです。今のところ。私よりもテニスが上手で」

 今度は右手首を掴み。

 左手と同じように。

 インパクトドライバを、ビスを、手のひらに押し当て。

「お家もお金持ちですもんね。私よりもおっぱいが大きい。先輩。先輩さえいなければ、ねえ。大好きです。」

 引き金を引く。

 今度は右手も、床に固定される。

 外ではちょうど風が少し収まっていて、先輩の叫び声が良く聞こえた。

 先輩は、もういらない。


 私は、嵐のように愛す。


 ○色欲

 私よりお姉さんなのに子供のように泣きじゃくる先輩のその顔を私は見下ろしている。

 先輩のお腹にまたがったまま。

 暴風雨は先ほどの小康を過ぎ、再び勢いを増す。目を通りすぎたのだろうか。

 先輩の泣き顔と、私の暴力性、衝動。

 その全てが、私の性的興奮へと還元された。

 私の下腹部はかつてないほど濡れていた。

 その粘液はそのまま先輩の腹を濡らし。

 抑えきれなくなった私の感情、激情、劣情が背中を押す。

 もうそこから動かせなくなった先輩は引き寄せることもできない。

 だから私から。

 泣きじゃくる先輩の顔。

 私はその顔に顔を近づけ、優しく、努めて優しく、唇を重ねる。

 先輩の頭を少し持ち上げ、左手を後頭部に回す。

 先輩の体を少し浮かせ、右腕を背中に差し込む。

 先輩を抱きしめる。

 なおも優しく唇を触れ合わせ、そして舌をねじ込む。

 私の舌で、先輩の舌を撫でる。

 前歯を撫でる。

 前歯の裏を撫でる。

 再び舌を絡ませる。

 呼吸のために顔を離すと舌と舌で粘液が糸を引いた。

 先輩の背から右手を抜き、そのまま先輩の下腹部へと這わす。

 ぴったりと閉じられた太ももを撫で、さすり、こじ開ける。

 再び唇と唇を重ねる。

 右手の指先に水気を感じ、と同時に、先輩の体が少し強ばる。

 なんだ、やってみればできるものだ。

 あとはそうだ、自分で自分にするように、同じことを、先輩にすればいいのだ。

 不思議なことに、私を支配した劣情は、自身の満足よりも、先輩への奉仕という形での発散を求めていた。

 優しく、時に激しく、口づけを絶やさず、二の腕をさすり、鎖骨を撫で。

 私が満足するまで。


 私は、嵐のように愛す。


 ○暴食

 ああ、喉が渇いた。

 先輩の5度目の絶頂を右手に感じ、ふと手を休める。

 できるものだ。

 暴風もかなり収まり、台風もほとんど通り過ぎた頃か。

 パラパラと、雨の音が聞こえる。

 風も、いつもよりは強いようだが、恐怖を覚えるほどではなくなっていた。

 しかし、奉仕とは気分のいいものだ。

 部室に常備してある共用のウェットティッシュで、手と口元の粘りを拭う。

「イツカ先輩、大好きです」

 先輩と口づけを交わす。

 これは確認用の口づけ。

「ねえ、先輩、ご存知ですか。これ」

 私は先日こっそり部室に運び込んでいた箱を引き寄せる。

 インパクトドライバと同じメーカーの、コーヒーメーカーの箱である。

 私は鞄からミネラルウォーターと専用のコーヒー豆パックを取り出し、手早くセットする。

 そして、先ほど先輩を床に縫い止めたインパクトドライバからバッテリーを取り外し、今度はコーヒーメーカーに取り付ける。

「先輩、あのね、これね、コーヒーメーカーなんです。このメーカー、インパクトと同じバッテリーで動く、掃除機だとか、扇風機とかだけじゃなくて、コーヒーメーカーもあるんです、これ」

 ああ、なんてピロートークだろう。

 自分にがっかりだ。

 スイッチを入れれば、カップ一杯分のコーヒーが淹れられていく。

「電源の心配なくコーヒーが淹れられるなんて嬉しいじゃないですか。ねえ、先輩? 先輩もこれ、好きですよね」

 返事はない。

 恐怖か、痛みか、悦びか。

 未だ先輩は呼吸も荒く、なるほど、私はやり過ぎたのかもしれない。

「先輩は、どの工具が好きです? やっぱりインパクト?」

 まさか自分の両手を縫い止めた機器を好きにはなるまい。

 私はなんということを聞いてしまったのか。

「ごめんなさい、先輩」

 ちょうどコーヒーが淹れ終わった頃。

 ぽつぽつ、ぱらぱらと、雨の音。

「もう、許して……」

 先輩が、絞り出すように、言った。

 私のほおを、涙がつたった。

 なんだか自分で自分がよくわからなくなる。

 もう、許して。

 なるほど……

 なんと、なんと苦いコーヒーか。


 この18Vのバッテリーは、コーヒーも淹れられる。


 ○怠惰

「先輩も、飲みますか。コーヒー」

「……いらない」

「もう、嵐は過ぎたようです。私の嵐も、もうおしまいです」

 風の音すら聞こえず。

 私は立ち上がり、窓のカーテンを少し、開けてみる。

 カーテンの隙間からは、青空が、見えた。

 窓も少し開ければ、湿った風が、優しく、爽やかに吹き込んだ。

「先輩。今、助けてあげますからね」

 18Vのバッテリーをインパクトドライバに付け直し。

 先輩の左手のビスの十字に、インパクトをあてがう。

 ああ、きっと、抜くのも痛いだろうな。

 かわいそうな先輩。

 かわいそうに。

 手にこんな怪我をしてしまっては、もうテニスもできないんじゃないかな。

 あんなに練習したのに、最後の大会には出られないんだ。

 私とダブルスを組むこともできないんだろうな。

 かわいそう。

 かわいそうな先輩。

 私はインパクトドライバを先輩の左手から離し、改めてタッピングビスをセットする。

 回転を締める側に戻し。

 かわいそうな先輩は、かわいそうなので。

 生き写しのような私も。

 愛を以て。

 先輩の床に固定された右手に、私の左手を重ねる。指と指を絡ませ、ぎゅっと、握る。

 右手に持ったインパクトの先端、つまりはビスの先端を、自身の左手の甲にあて。

 息を止め、引き金を引く。

 私と、先輩、二人分の悲鳴。

 痛い。すごく痛い。

 間違いなく致命傷ではない。

 だが、痛い。

 痛みによって脳のもやが晴れた。

 私は、こんな苦痛を三度も先輩に与えてしまった。

 五度の絶頂で最初の二度は相殺するとして、三度目はもうダメだ。

 だって、こんなに痛い。

 活性化した脳を、ひたすらに謝罪の言葉が流れていく。

 もう嫌だ。

 もう楽になろう。

 そう思った私は、まだ自由な右手で、床に置いたインパクトの先端に、ビスを取り付け。

 インパクトを手に持ち。

 その先端を、こめかみにあてがう。

 そのこめかみが、私のものだったのか、先輩のものだったのか、あまり覚えていない。

 その時私は、確かに迷った。

 どちらを楽にするべきか?

 迷った末、どちらを選んだのだろう。

 先輩が、やめて、やめて、と、声を上げていたのを、ぼんやりと覚えている。

 しかし、その声を聞く脳はすでになかった。


 私は、引き金を引いていた。


 おしまい。

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