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杜甫の「絶句」から、お茶杓の銘をとる

江碧鳥逾白 江碧にして 鳥いよいよ白く
山青花欲然 山青くして 花もえんと欲す
今春看又過 今春 みすみすまた過ぐ
何日是帰年 いずれの日にか これ帰年ならん

 濃茶のお点前のお稽古が始まった。お茶杓の銘も、濃茶用の銘になり、禅語か漢詩から取ることになる。
 いくつか禅語からお茶杓の銘を作ってみたが、どうも面白味を、感じない。意欲がわかないのである。
 そこで、漢詩からお茶杓の銘を考えることにしてみた。
 まず最初に気に入ったのが、冒頭の漢詩である。お茶杓の銘は、
「山青花然(さんせいかぜん)」
 である。意味は「山は青くして、花もえる」である。新緑の5月の山登りの時に、緑が笑っている、といつも感じていた。その気持ち、そのままの四文字である。
 禅語ではなく、漢詩にしようと思った理由が、もう一つある。それは浅田次郎先生のお話からである。
「日本の作家の中には、中国を舞台にした作品をいくつか書いている作家もいる。しかし、長く続かない人もいる。それは中国に興味を持った入口の違いである」
 そう言って先生は続けた。
「三国志から入る作家と、漢詩から入る2種類の作家がいる。どちらが長続きしているかというと、漢詩から入った作家である。漢詩の多くは当時の高官が書いている。だから、漢詩の意味を知ろうと思ったら、書かれた時代背景を知らないと、漢詩の本当の意味がわからないのである。気に入った漢詩に出会うと、その漢詩が作られた時代を理解しようと努力する。その繰り返しが、作家を中国通にするのである」
 私も先々、中国の大地を舞台にした作品を書きたいと、密かに志しを抱いている。

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