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「来年の初釜は、お点前お願いしますね」

 今年で二度目の初釜を迎えた。去年は勝手も分からず、とにかく見様見真似でなんとか終えた。今年は二度目という事で態度も大き目になって。しかし、席入り早々やらかしてしまった。菓子器の数と人数が合わないと思って気を回したのがいけなかった。ちゃんとうまく行くように準備がなされていた。そうとは知らずに隣の客に「前のお客の分では?」と、余計な事を言って慌てさせてしまった。後で謝っておいたが、後の祭りだったかも知りない。
 初釜の席で出される懐石も二回目ともなると、気持ちの上で余裕が出て来た。前回は、だだ他の客がどうするのかを必死に観察しつつ真似るのがやっとだった。しかし、二回目ともなると、誰が正しくて誰が間違っているか見定めようとしている自分に気付く。煮物のお椀や折敷の扱い方とか。何より困ったのが、最後である。
 最後、皆が食べ終わった事を知らせるために、お客全員で「せーの」で箸を折敷に落とす。ところが、この日は箸を一斉に落とす前にお給仕の人が最後の方から折敷を片付け始めてしまった。
 そうなると、正客が困った。
「ここはみなさん、揃えて一斉に箸を落としますよ。せーの、はい、カタッ」
 という、正客の楽しみをお給仕に奪われてしまった。お客は全部で十五、六人いたのだが、結局、正客と次客と私がバラバラと箸を落として、その場を濁してしまった。
 終わってから思ったのだが、懐石の作法は日常ではあまり使わない。使っても逆に知らない人にしてみれば不快感さえ覚えるかも知れない。そう思った時、懐石の作法はサッカーで言うところのルールなんだ、と思う事にした。
 そうすると周りが出来ていようがなかろうが、私は正解だったと満足できる。全員がルールを守れたら、それはチームとして勝利した様な気持ちになれる。
「ノーミスだ! 総合点で我がチームがトップだ。みんなよくやった!」
 てな具合に。来年はそう思って初釜に参加しようと、今から楽しみである。
 初釜の楽しみということで、もう一つ。初釜の最後に講師の方に一声かけられた。
「蜻蛉さん。来年はお点前、お願いしますね。大丈夫。出来ますよ」
 といわれて、自信の根拠は何もないのに、
「頑張らせてもらいます」
 と、安請け合いしてしまった。まだ、濃茶の平点前もやったことがないのに。
 この一年のお稽古の目標をいただいたようなものだ。励み甲斐があるというもの。


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